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ありえない疲労感で、仕事から帰宅後バタンキュー。

まだ夕方かな?くらいの明るさで目が覚めたら



20:30


ベッレー~(=_=)


3時間以上も意識を失って…無駄なことを…

そんな1週間を毎日送っていました。


お別れのため、全部の病棟をまわって挨拶して、お世話になった人と写真撮って…

っていうのは結構疲れるんですね。

あ、現像して配ってっていうのもやってるからか。

夜勤とかもあるから、二度と会えない人っていうのもいるので、

毎日が一大勝負みたいな感じです。

でもまだまだ実感がわかなくて、ふとした時に『この人ともう会えんのかー』と考えて

写真を見て寂しさがこみ上げてきます。


同時に、保健省への報告書(ウズ語)、JICAへの報告書(ウズ語訳で部長と師長にも提出)、

JICAのネット公開の活動報告書、どっかの国の隊員がやってる活動データブックの原稿、

原爆展の開催報告書・・・

と、ありえない量の活動報告書類に追われてました。

が、昨日全~部提出して、ちょっと一息ついたところです。

あとは、ウズベキスタン医療部会(保健医療関係の隊員のグループ)と、全体報告用の

発表スライドと原稿を作るだけです。


自分のためにも残しておきたいので、ここで同僚の紹介をしたいと思います。

まずは、リーダーの3名。

サドゥルラエヴァ ディルフーザ1988年生まれ
ディルフーザ小
彼女はとても向上心が高くて、頭がよくて、患者さんのこともしっかり考えていて
私が一番信頼している看護師です。ウズ人には珍しく、しっかり物事を考えて行動してるので
いろんなことをよく討議しました。看護過程でも食いついてくるのは彼女でした。
これからきっとウズの看護界をひっぱれる人材。ぜひとも大事にしてほしい。


ルーズメトヴァ ディルノーザ1988年生まれ
ディルノーザ
彼女とディルフーザは同い年で家も近いらしく、いつも2人で行動してました。
ディルフーザよりは大人しくて、自己主張は少ない方だけど、処置担当の時期は
半年くらい一緒に仕事してたので、彼女にもいろいろ仕込みました。
あ、そうそう処置の時使用する物品、洗うのめんどくさいからって全患者に同じの使う人が多いんだけど
感染リスクがあるからだめだよね、ってちゃんと分かってたのは彼女。その時は感激したなー。
カンファで緊張してしゃべれなくなったり…でも頑張り屋さんです。


ジャベルギャノーヴァ ムカッダス1973年生まれ
ムカッダス
ムカッダスは赴任したての時に、重症部屋の日勤担当だったので、彼女と一緒に働くように
当時の師長代理の看護師にあてがわれました。最初は、この子をどーすりゃいいの!的な
感じでしたが(笑)そのうち絶大の信頼を寄せてくれるようになり、中堅看護師の中では
一番吸収力がいい人なので、私もなんでも彼女に言うようになってました。
私にとってはウズでのプリセプターみたいな存在の人。大好き。


この3人は、病棟の中でも納得できるほど仕事のできる人。
師長さんも経験年数関係なくリーダーに指名するってことは、ちゃんと分かってるんですよね。
リーダーは勉強会の担当をしたり、病棟内教育のリーダー業務をしているみたいです。


次は若手の看護師達

アブドゥハリモヴァ マフトゥーナ1991年生まれ
マフトゥーナ
彼女が新人として来た時に、私が基礎看護技術の指導を担当しました。
仕事終わりに一緒にアイスも食べにいったなぁ。去年のこのくらいの時期。
いつも会うとハグしてくれるカワイイ子です。
勉強熱心ではあるけど、自立心がちょっと…でも優しいNsです。


ラジャポーヴァ マンズーラ1982年生まれ
マンズーラ
若手っていってもうちより年上だけど(笑)彼女も信頼できる看護師。
病棟で一番美人やと思うけど、写真を見せると同期メンズには否定されます。
でもきっとフェロモンでてるんやわ。傍にいるとドキドキするキレイさなんですvv
 
頭もいいし、しっかり自分の意見を持ってるし、この人ともよく実のある討議したなぁ。
ディルノーザに『1患者1器具』を教えたのは彼女らしいです。
結婚して6年、流産ありで子供ができなくてノイローゼになって2ヶ月休んでて
最後一緒に仕事できなかったです。でも先日たまたま会って、妊娠してるということ。
無事に元気な赤ちゃん生んでね、マンズーラ!


ベクメトーヴァ スルタンパッシャ1991年生まれ
スルタンパッシャ6
クラスとか職場に1人はいる、すごく頑張り屋なんだけどできない子…なんです彼女。
眉毛つながってて、笑うとめっちゃいい顔するんだけど、いつもへの字になってます。
どうしても分かんないの、っていって私にいろいろ聞きに来てて、個人的には大事な後輩。
容量が悪いだけで、ホント優しくて愛嬌のあるいい子です。がんばってほしいな


ムスタファエヴァ サダカット1993年生まれ
サダカット
この子は逆に容量がよくて、可愛がられるタイプ。病棟で一番若手です。
スルトンパッシャより半年以上後に入ってきたけど、先に夜勤こなしてました。
吸収力はいいし、向上心もあります。指導に入ってないから技術面はあまり知らないけど
とにかく横に立つのが恥ずかしいくらい可愛いね(笑)


ユルダショヴァ フモール1991年生まれ
フモール
フモールも新人時代に指導しました。最初、患者さんに触れるのが怖くて、血圧図るのも
手が震えてた子。オゾダのようにチャッコン(テキパキ)働きなさい!なんて
私と比較されて怒られてたけど・・・今となっては堂々としたもんです。
昨年末に結婚して順調に妊娠して産休に入ってしまい、きちんとお別れできなかったです。
でも、愛嬌もあるし、忠実なので、もう一度現場に戻ってきてほしいなと思う子です。



教えがいがあるというか、一緒に働いていてため息をつくことがなかったメンバーが

以上です(笑)

若手のほうが、仕事に専念するのもあって、向上心が高いですね。やっぱ。

こっちも後輩のほうが教えやすいですし。

ちゃんと自分の考えを持って働いてるなと思うことが多く、私も信頼しています。

信頼関係が出来ていた分、向こうも別れを惜しんでくれてて、ホントさみしい(´Д⊂


ウズの結婚年齢は若いし、子供産んでなんぼなので、この若手のNsがどんどんと

入れ替わってしまうんです。しかも3年くらい育休とるし、ブランクがねぇ…

赴任1年目も『せっかく発掘したのに!』というような残念な別れを何度も経験しました。

学校と違って区切りもないし、夜勤だったり日勤だったりで、集中して関われることもないし、

最後まで見守れることもないし…

彼女達の日常のなかに、ふっと入ってきて、いろいろいちゃもんつけて、ふっと去っていく…

そんな存在にはなりたくなくて、関係作りはがんばったかな。


つづく
最後のセミナー前後に、タシケントからメフモンが来てました。

看護師隊員のななちゃんです。

私がいる間に病院や活動を見学したいと、この時期に合わせて来てくれました。

私はセミナーの準備でバタバタしてたけど、シャワットに泊まったり、

いろいろ楽しんでたみたい。

病院では、この時期に来たので、私の後任だと思われてしまってました。

あと、写真とかで似てる似てるってよく言われてたんだけど、看護師とか

ICU隊員とか、マジに私とななちゃんを間違ったりしてました(笑)

あんたたち似てるわねーのオンパレード。

ななちゃんのほうが華奢なんだけど、2人とも黒髪ショートだからねー。

そんなこんなで大人気な ななちゃんでした。

同い年で看護師隊員で、会うまえからブログで知り合っていたのに、

タシケントとウルゲンチという距離のため、今までほとんど話すことができませんでした。

でも今回3日くらい、うちに泊まってもらったので、たくさん話をしました。

気を使わなくていいし、ホント楽しかった!ありがと(=^0^=)


セミナー後はうちで女子会。途中からメンズも加わって合コン(笑)

活動終わりたての人もいたし、平日も終わったし、解放感に溢れてました。


土曜日は、ナース3人でヒヴァに行ってラクダと絡んだり・・・
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ブハラからきたおっちゃんと絡んだり・・・
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おっちゃん、カメラ覗いてるだけなのに、アクロバティック《゚Д゚》

ミナレットに登ったり・・・
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暑かったけど、充実した1日でしたvv

夜はKOICAとウルゲンチ隊と食事会。
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翌日もナース3人でウルゲンチ観光。

バザールと公園を歩きました。

一番暑い時間に・・・

ウルゲンチの真ん中でJUMP!!
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O型っぽいO型のななちゃん、ツンデレオゾダ、他人との距離感がウズ人のあけみん
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違うタイプの3人ですが、やっぱ看護師ですね、みんな。
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おっ!上手く行ったかな(#^.^#)
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ナース 3人組でしたvv
私自身の最後のセミナーの前日、同期隊員モモの活動を見に行きました。

サッカー隊員として、スポーツ学校で活動していた彼は

2年間の締めくくりとして、コーチvs生徒代表の試合【ももじろう杯】を開催したのです。

開催までに準備を重ねていたこと、実現に至るまでに色々あったこと…

なにより、こういう行事を開催できるまでに、関係を築き上げてきたこと…

同期といっても全部を知っているわけではないですが、同任地でもあり、

それなりに奮闘している姿を見てきました。


偉そうなことを言うつもりはないですが、もともとしっかりはしていたものの、

この2年間で一番成長したのがモモではないかなぁと密かに思っています。
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だから、最後の試合に声をかけてもらえて嬉しかったかなvv


ももじろう杯は午後5時スタート。場所はヤンギバザール郡スタジアム。

ウズベキスタンでも西側のホラズム州は、この時間でも正午すぎのような日差しです。
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コーチチーム
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生徒チーム(と、来賓と赤ユニフォームは校長。校長はコーチチームのキーパーです。)
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入場から国歌斉唱まで、進行もきちんとされ、役所の協力も得られた立派な大会でした。

結論を言えば…

審判の力を借りて??コーチチームが1点差で勝利。

体重そうやな(笑)とか審判甘いな…とか色々気になることはあったけど、

モモを通じて仲良くなったコーチ達が、生徒と真剣勝負をしている姿は

結構、感動的でした。

実際、サッカーとしてチームとしてどうだったかは分かんないけど、

モモが対応に頭を悩ませていたコーチ達と生徒が

ボールを取り合う姿に、息をのむ瞬間もありました。

写真で切り取ってみると、一つ一つの場面で、みんな真剣だったんです。

校長も
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日本展の時、総合司会を引き受けてくれたミーシャも
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練習中に愛人に電話しちゃうコーチも
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生徒も
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審判も
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もちろんモモも
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瞬間瞬間、とてつもなく真剣でした。

スポーツっていいな、と思ったし、こういう形で活動を終えることができて

本当によかったな、と思った。




悔しさの本当の理由はわからないけど、一生懸命じゃないと泣けないだろうし
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ものすごく単純なだけかもしれないけど、一生懸命じゃないと喜べないだろうし
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モモの2年間の活動の締めくくりを見届けることができて、本当によかったと思いました。

そしてこの試合があったからこそ、翌日の最後のセミナーに気合を入れることができました。

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だから、ありがとう。


閉会式。ヤンギバザール郡からの表彰。2年間おつかれ!
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みんなで記念撮影
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同期の立場として、この大会を見て感じたことだけどね。

瞬間瞬間を残そうと思って、写真たくさん撮ったけど、

きれいに撮れたのはほんのヒトニギリ。


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2012.05.25 最後の鐘
ウズベキスタンの学校は9月始まり、5月終わりです。

5月25日は全国的に終了式・卒業式になっていて、

【最後の鐘 охириги қўнғироқ】と言われています。

式の終わりでは、授業の終わりを知らせる鐘をもった最少学年の生徒の代表を

卒業生代表が肩車して、鐘を鳴らしてまわる、というイベントが行われるそうで、

とても感動的な瞬間になるようです。

その習慣が名前の由来となっています。


同期は学校隊員が多いので、この日が活動の最後になりました。

病院には終わりも始まりもないので、私は首都に引き上げの日の前の週末に

活動最終日を設定していましたが、病院行事(年に1度の改修工事)の都合で

1週間早い、6月1日が最終日となる予定です。


でも、最後の鐘の日の5月25日は、私が開催する最後のセミナーの最終日でもありました。

最後のセミナーについては先日の記事のとおり、院内のプロジェクター使用不可能、

そして電源のない部屋での講義ということで

PCが使用できず、前半は模造紙やダンボールで作成した教材を使用してみました。

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聴講者の雰囲気もありますが、スムーズな説明ができなくて1回目は失敗だったなと。

同期隊員に相談して、プロジェクターをもしかしたら借りれるかもしれない…

という事情があったので、急遽PCでスライドも作成。

でも外から電源を引っ張ってこないといけないし、万が一のことも考え、

模造紙教材も改良しました。

前日は、最後ということで念には念をいれて、遅くまで準備と練習をしてました。


当日、タシケントから看護師隊員ななちゃんがメフモンに来てくれて、

院内や活動について紹介しつつ、セミナーの準備。

プロジェクターは卒業式終わりに、同期モモが持ってきてくれました。

ひと足早く活動が終わったモモも、セミナーを見学してくれることに。

メフモンの存在が少し看護師に緊張感を与え、雰囲気作りのプラスになったと思います。

30分前にプロジェクターが届き、接続。

電源はなんとかつながり、スライド作っておいてよかったー!と一瞬テンションがあがりましたが、

どうもPCとの接続の相性がよくない…

直前までねばったけど、結局PCはあきらめて模造紙教材を使用することに。

スライドと模造紙を50/50で準備してたので、自分の番が来るまで、絶頂の緊張状態でした。


この日が最後の最後っていうのは自分も師長も意識してたので、

なんか目に焼き付けるかのように、師長が自分に熱い視線を送ってきてました。

ほんで、気持ちが高ぶって、始まる前にすでに胸が痛かったです。


参加病棟は外科と整形外科
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内科病棟
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写真で伝わるかわかりませんが、ものすごく白熱しました。
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結構みんな真剣でした。

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自分はもっと必死でした。

1日目に、アドリブで寸劇まがいのものを後輩隊員あけみんに協力してもらってやったんですが、

2回目のこの日は事前に少しだけ打ち合わせし、ストーリーだててやりました。
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ウズの看護師に伝えたい、『正しい申し送り』の方法です。

部長と師長が、関心してくれてるのがわかりました。


3つのテーマをやり終え、大きな拍手をいただき終了。
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協力してくれた同期、後輩隊員に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

セミナーの最後に、看護師たちの前で3人にお礼をいい、

セミナーを聴講してくれたこと、また2年間一緒に働けて嬉しかった。ありがとうございます。

という看護師たちへの言葉で締めくくりました。

感無量というよりは、燃え尽きたーという感じでした。


他の病棟の看護師はなんかとても興奮したまま帰っていきました。

このセミナーに臨むにあたり、工夫した点や反省点はこれからもう一度まとめて

報告会・報告書に反映していくつもりなので記事には書きません。

今の私の気持ちは語り尽くせませんが、

でも、とにかく看護師が熱かった。それだけで、充分。


セミナー後、外科の看護師だけ残ってもらい、1人1人に記念品を手渡しました。

夜勤や休みの人もいるので、この日が会える最後の同僚もいました。

和柄のエコバックとキーホルダーを年配の看護師・若い看護師別で準備し、

医療消耗物品で2年間で使用しなかった分を寄付という形で個別に包装しました。

1人1人名前を呼んでハグして笑顔で写真を撮ってたけど

最後に師長さんにハグされて
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おちました
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ちゃんとした挨拶の言葉はもう言えなかったけど、

嫌というほど同僚と絡んだほうがいいよ、と前日にモモが言ってくれたので、

下手に自分の気持ちを押し込めないで、素直に表出しました。

だからこそ、同僚とは笑顔で写真が撮れて、

師長さんの顔をみて涙がでてきました。

これが2年間の外科病棟で築いた私とみんなとの関係です。

同僚には、これからもがんばれ。

師長には、本当にありがとう。

その気持ちが根底にあるのです。

想像以上に別れが辛い、という同期の言葉が胸に滲みます。

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活動の最後は唐突で、予測不可能で、波乱万丈で、必死で、熱くて、真剣で、

自分らしいといえば自分らしい。

だから、この日を、気持ちよく活動の締めくくりにしようと思いました。

欲を言えば、同僚にとっても記憶に残る日になればいいな。

あと4日間は、外科の医者と看護助手、他の病棟のお世話になった人への

お礼と挨拶周りになると思います。



言葉の壁に苦しみすぎて、結局、同僚にもストレスを与えてしまった、

必要な支援や指導を後回しにして、全部はやり遂げられなかった、

看護過程の講義が途中で終わってしまった

後任隊員に引継ぎできなかった

そんな後悔はたくさんあります。

ここの人たちにとって、ここでの仕事はこれからも続いていくものだから。

この2年間は同僚には通過点のひとつなだけだから・・・そう思っているので。

でも、私は自分の活動に自分で区切りをつけないといけないって

割り切って考えるようになりました。


精一杯努力してぶつかってもがいて…

その分、恥をかいて嫌われて妬まれて…

時々、感謝されて必要とされて…

無難に遠回りするんじゃなく、切り開いていったからこそ

記憶に残る特別な日ができたんだと思います。

2年間通りぬけるまで分からなかったけど、なんとなく納得しました。


終わるもんは終わってしまうんだから、最後の雰囲気は自分で作ればいい。

2年間、やり通せるかもわからないんだから、

自分が後悔しないように毎日を過ごせばいい。


何をしたか、結果がどうだったかなんて、ずっと覚えていられるわけじゃない。

このセミナーを開催するまで、何度もしんどい思いをした。

でも妥協せずに準備した最後のセミナーが楽しかった。

看護師が真剣で熱かったのが嬉しかった。

最後っていうのが切なかった。

もっと一緒に働きたかった。

その気持ちは一生自分の記憶に残る。

だから2012年5月25日は特別な日になる。


看護過程について、最後のセミナーのチャンスをいただいております。

新記録用紙を導入していない病棟は4病棟。

その病棟には書き方を、すでに導入している病棟には込み入った情報を。


1日目は導入していない2病棟をあててもらっていました。

書き方に関しては、嫌というほど指導してきて、ウズ人のわからないところとか

決まって出てくる質問も全て把握してあります。

なので、先周りしてポイントを押さえながら説明。

するつもりが、今回他のテーマで担当になってる外科の看護師が1人参加していて、

『私知ってるから』って感じで、先に説明しはじめて・・・

確かに、指導のできる看護師を育てるのは一番の目標でしたが、

この看護師はそもそも出しゃばりなだけで、主旨をあんま理解していない。

ホント余計なお世話って感じでした。

打ち合わせもなにもなしに、勝手に説明されてもマジで困る。

ただ注意点もなにもなしに、『これはこう書くの』なんて誰でもできる。

ウズの講義なんて、教科書丸読みっていうのが普通になってるし。

でも、そういう説明を聞いているほうも、ハイハイハイハイって感じで

流して聞くようになるんですよ。

その講義方法があんまりよくないっていうのは、管理職はみんなわかってます。

だから、我々がスライドや写真を用いて、実技を用いて説明するのを褒めてくれるんでしょ。

その期待を裏切らないように、私は、講義方法も妥協せずに工夫してきてるんです。

ひとつひとつ理解度を確認しながら進める方法も最後まで貫いてきたので、

それを邪魔されてイラっとしました。


あと、私が以前に教えた浣腸についての講義を、外科の看護師がほかの病棟に教える日

でもありました。

担当になったのはそのでしゃばりの看護師と、私が信頼してる若い看護師。

若い看護師のほうは私の作った資料を読んでたんですが、緊張して何度も

つっかえちゃったんです。

そしたら、看護部長に途中でとめられちゃいました。

自分で作った資料じゃないのか?練習してきたのか?と・・・

練習してなかったのは事実だけど、緊張してたんもあるんでしょう。

部長の対応とかは別にしかたないかなと思ったんだけど、私が腹がたったのは

でしゃばりな方の看護師が、そのことをすごく馬鹿にしたことです。

ほんで師長にちくってました。

いうて、その看護師はただ資料を丸々つっかえずに読めたってだけですよ。

何が違うん?あなた何か工夫した??と言いたい。


かなり腹がたったんで、セミナー中も、セミナー後に師長の部屋で反省会したときも

あんただって全部正しいわけじゃない!と啖呵きりました。

同い年なんでこっちも遠慮なしです。

で、失敗しちゃった看護師のほうには、1つずつ上から資料を一緒に見て、

こういう風に説明したらいいよ、ここを強調したらいいよとフォローしました。


残念ながら2日目は担当がまた変わったので成果は分からずですが…


ほんで2日目。

参加部署はICUと循環器。

どちらも新看護記録用紙を導入済みです。

なので、ひとつ上のレベルのことをテーマにしました。

専門的になりますが・・・

情報収集した後、『何を問題とするか、解決すべきことは何かを見つける』過程についてです。

まずは、書き方の復習とポイントから。

PCが使えないという最後にしてアナログになってしまったんですが、

最大限できる準備をしました。
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パーツたち
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シュミレーションは何度もしましたが、始まる前にふと・・・思いました。

なんか、通じない気がする。と。

時間通りに集まらないのはいつものことですが、まず全体的にだらけている雰囲気がありました。

それから、こちらとしてもスライドや配付資料を使わない講義は初めて。

使用する教材がどの程度理解されるものなのか手探りなスタート。

でもスタートしてる場合じゃないんです。

これが最後なんです。

もちろん反面教師として後任への参考になるならいいんですが…


基盤になる絵や表に、情報を付け足していく方法をとりました。

説明しながらテープで貼ったり、プラカード状のものを持って見せたり。

でも、予想外にバタバタして、それが集中力を切らした最大の原因になったのかもしれません。

日本人なら、次に何が出てくるか少し注目するであろう場面も、

間を置くことで、集中力が切れるという…

看護師の雰囲気をみて、2つ3つ飛ばして進めました。

そしたら、微妙に内容が繋がらなくなって修正もきかなくなって

無理やり終わらせた感じでした。

興味を惹きつけるのと、内容を理解してもらうのと、同時は難しいなと思いました。

これも反省のひとつですが、4日目にもう一度チャンスがあるので

もう一回進行方法を考えようと思います。

その日が本当に最後のセミナー。

タシケントから後輩隊員が見学にきます。お客がくるくる、っていって看護師も楽しみにしてるし、

参加するのは、外科も含めて、まあまあ濃い関わりをした病棟。

私も自分の活動を見せるチャンスでもあるし。

できれば今日みたいな雰囲気にはしたくないなぁ。




あ、活動は6月8日までやるつもりでしたが、1日から改修工事が始まるようです。

病院全体だから、患者は入院させないし、工事に関わるスタッフ以外は無給休暇です。

なので、実質2週間、病院が機能しません。

つまり、私はいても意味がありません。

毎年6~7月に工事は設定されます。

去年は6月中旬で、休みたいと思っていたのに

JICAの行事とかぶってしまってあまり休めなかったのに、

最後だからしっかり働きたいと思ったら、今年は時間を奪われることになりました。

外科は手術後の患者が最後まで残るので、他の病棟のように、

『今日から改修工事始めます!』とはいきません。すべては患者の病状次第。

スタッフだけ徐々に減らしていく、という。

なのでいつが終わりなのかハッキリしないまま・・・

なんとなくお別れになっちゃうんですね。


まあ元々自分のための活動ではないので、最後まで黒子としていればいいということですね。

とりあえずあさっての最後のセミナー時には、外科病棟のスタッフだけには

きちんと2年間の締めくくりをしてしまおうと思います。



昨日から給料配布が始まってました。

初めてちゃんと観察したけど、当然、ウズ人はここでも並びません。
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このときばかりは、本気でウズに生まれんでよかったというか、

日本人でよかったと思ってしまいました。

秩序はみんなで作っていくものですよ。



モチベーション下げてる場合じゃないので、ラストラン悔いのないように。
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