上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
PCを開けば報告会のスライド作り・・・

ということで、全くブログ更新もできていませんでした。

下手したらメールとかも返信忘れがあるかもです(すみません)

そんなオゾダは6月20日に無事帰国しました。


・・・が、帰国前のウズベキスタンでの行事のことはきちんと書いておきたいので

今更ですがアップしていきます。


12日に首都にあがって何をしたかというと、銀行口座閉鎖。

そして、ウズベキスタンでは『持って入ってきたお金以上のお金』は

普通の手続きでは持ち出せません。

生活費やら家賃補助やら帰国準備金やらが振り込まれているので、

証明書を出してもらって、空港で提出しないといけないんです。

マジでめんどくさい。っていうか、1週間前に予約して、その旨伝えてたのに、

行ってみれば案の定、一切伝わってませんでしたから(-"-)

1時間待たされ、銀行口座を閉じるための書類というか許可願を手書きで1枚

持ち出し証明をだしてくださいっていうお願い文書を手書きで1枚。

全員同じ文章だから、名前と日付とサインだけ空欄にして、印刷しておいてよって感じで

システムも上手くいってないし、結局のところ1時に行ったのに、全員分終了したのが

5時前でした(;゚Д゚)!

地方隊員の、公式行事の首都滞在中の4時間って、ひじょーに貴重なんです。

毎回毎回、隊員は同じ手続きをして帰るのに、これだけ時間がかかるってどうなの??

一応国立銀行なんだけど、対応してくれてる職員以外は、私語でギャーギャー騒ぐし

かなり不快な時間でした。

この手続きの時間を、帰国プログラムにちょっと入れてくれればいいのにね。

JICAのナショナルスタッフから一報いれてくれるだけでスムーズに始まるのに…

後日、別で提出したものも含め、必要なもの
・パスポート(コピー)
・アクレージテーションカード(コピー)
・証明書用の手数料15$前後(スム払いもOK)



そして、翌日は救急Ns部会&医療部会。

ウズベキスタンでは同職種の隊員が、自己の活動とは別に

情報共有や勉強会などを目的に部会を結成しています。

現在存在するのは3つ(コンピュータ部会、医療部会、体育部会)

医療部会は、看護師・保健師・助産師・理学療法士の隊員がいます。

今が一番人数が多くて10人以上ですが、隊員の入れ替わりも激しいし

職種もばらつきがあるので、まだまだ部会としての活動は模索中です。

オブザーバーとして、ミーティングには事務所のスタッフも参加します。



AM中は、救急Ns部会。

こういう機会でしか込み入った相談はできないけど、専門性が高いので

救急医療病院配属の看護師隊員のみで空き時間に実施しました。

といっても後輩Ns2人とオブザーバーの健康管理員さんと3人で。

主に後輩隊員の活動上の問題を共有。

活動も終わってしまえば、後輩にアドバイスできるほどのたくさんの経験ができたなぁと。

後輩隊員からはすっきりしたという言葉もあったので、こういう時間が作れてよかったです。


PMからはウズメディカルチーム(医療隊員)ミーティング。

こちらはまったく資料を準備していなかったので、

前日から半徹夜して当日朝に仕上げたスライドを使用して活動報告。

発展途上の医療部会でしたが、医療用語辞典を作ったり、色々やりました。

形にはできなかったけど、自分の活動と同じように部会にも力を入れました。

地方隊員のためにも、継続されることを望んでいます。


医療隊員はモチベーション維持が難しいけど、これからもみなさんの活動を応援しています。

IMG_5530.jpg





2012年6月22日記
最終活動日から1週間、

メフモンに行ったりメフモンがきたり、

同期の最後の授業を見に行ったり、タシュキルを手伝ったり…

荷物を送ったり、掃除をしたり、掃除をしたり・・・・・・・

パソコンを開ける間もない時間を過ごしていました。

報告会の準備とかもあったし。


地方隊員は帰国1週間前の6月12日に首都に引き上げだったんですが、
 
飛行機の時間が早くて、朝一で大家に家を明け渡すのが難しいかなと思い、

前日夜にマーキーのホームステイ先のシャワット郡に引き上げ、

翌朝みんなで空港に向かうことにしました。

12日はホームステイ先の3男マンスールの誕生日だったので、

一緒にいてあげたいなと思って。

両親と長兄はロシアに出稼ぎ、同居してる祖母は入院中、

次兄はごはん作ってくれるけど遊びたい盛りで夜はいない。

そんな寂しい誕生日なんてかわいそうやし。


掃除も荷物整理もずいぶん前からやっていたのに

家を引き渡す前日…

ナンデスカこの惨状は( ゚皿゚)

としばし放心してしまうほどの散らかりよう。

とにかく2倍速でほぼ徹夜で掃除と片付けをして、なんとか午前中には終了。

家賃や光熱費の支払いをして、がらんとした部屋に戻りました。

鍵は出る直前に返すことになってたので、何もない部屋でボーッと。
IMG_5492.jpg

報告会の準備をしようとおもったけど、停電で、PCの充電切れてて…

そうそう、光熱費の安さに笑いました。

この家は3つ目で、住んだのは半年だけだったけど、

ガス2㎥、水道(水15㎥、お湯3㎥)。ほんと出なかったもんね!

帰国前の1ヶ月、水がでないのがやっぱきつかった。掃除とかいろいろ。


最後のごみ捨てに言ったら、ゴミ捨て場のおっさんにつかまりました。

ちょっと低所得層の人が、ゴミ捨て場の側の掘ったて小屋にいていろいろ管理してるんだけど、

私がもって帰らないけど使える物や服をキレイに箱に入れて捨てたもんで
(絶対誰かが再利用するから、あえてきれいに置いておいた。)

それを自分へのプレゼントだと思い込んだらしく

告白されました(-"-)強引にキスされそうになりました。

ゴミも、君の思い出に全部とってあるんだと言って…

あなたにあげたわけじゃありません。

その時気づきました。おっさんが来てる服、私が捨てた白衣でした(;゚Д゚)!

おっさん、勘弁してください。

これが、ウルゲンチ最後の思い出ですわ(=_=)


若干テンション下がりつつ、40kg近い荷物を持って家を出ました。

引越しを何回かしたからか、そんな実感はなかったけど、あらためて考えると・・・

もう帰ってこないんだなと意識すると、やっぱり寂しかったです。

2年間住んだウルゲンチ。なんだかんだ、落ち着くようになってた場所。

ホントありがとう。


シャワットに着いて、マーキーが仲良くなった人たちを紹介してもらって、

おばあちゃんのお見舞いに行って、のんびりしました。

ドクターがヒヴァからわざわざ会いに来てくれて(すでに酔ってたけど)

みんなでご飯食べて最後のウォッカを飲んで・・・

0時になってマンスールにプレゼントを渡しました。
IMG_5521.jpg
この子、まだこんな純粋に喜びを表現できるんだなと、それに安心しました。

サンダルやボールや飴より、マーキーが折ったカブトに一番喜んでたように見えました。

次男ヒキマットも青春さかりに家の仕事に縛り付けられて、ホントきついと思う。

でも、自分たちで強くなっていってほしい。立派な大人になってほしい。

可能性はあると思う、確かに。
IMG_1054.jpg

数回遊びに来ただけの私なんかより、ずっと一緒にいたマーキーはよっぽど寂しいと思うけど。

でも、最後にみんなでお別れができてよかったなと思います。


シャワットから車2台で空港へ。

空港では、モモの配属先のコーチや校長先生たちが来てくれてました。

師長さんも来てくれました。
IMG_1066.jpg
仕事もあるのに、数時間休みをとって来てくれて、本当に嬉しかったです。

考えないように、考えないようにしてたけど、

ミーシャが泣いて、同期が泣いて、こらえきれませんでした。

ミーシャ。モモの同僚のコーチは日本展の時に唯一ウズ人で協力してくれた人。

堂々と司会をこなしてくれました。

いつもモモのことを見守ってくれてて、私たちのことも大切にしてくれて。


もう、二度と来ないって場所じゃないかもしれないけど、

もしかしたら会えるかもしれないけど

一緒に働くことはもうない。

それを意識するかしないか。しなければサラっとお別れできるんだけどね。

空港の近くに住んでる同僚もかけつけてくれました。
IMG_1073.jpg
大好きだった2人の同僚。嬉しかったです。

ホント、涙が止まらない。さみしさじゃなくて嬉しくて、感謝の気持ちで。

本当に2年間ありがとう。

病院のみんな、シャワットのみんな、大学のみんな、ヤンギバザールのみんな

ありがとう。

ここで感じたこと、見たこと、忘れないと思う。

それだけまっすぐ向き合った場所。


この地を離れるのがこんなに辛くなる日が来るとは思いませんでした。


さみしいけど、私は前に進まないといけないので。

ここでの経験を活かしていかないといけないので。

悔しかったことも楽しかったことも嬉しかったことも楽しかったことも

全部全部、胸にしまって、感謝の気持ちを忘れずに

日本に帰ります。


まずは、タシケントに。

ここで1週間滞在します。懐かしのウズベキスタンホテルで。
2012年6月4日も特別な日になりました。


5日から病院全体の修繕工事が始まるので、土曜日から新患者&手術の受け入れを中断しています。

入院患者はどんどん退院か転院させ、空いた病棟から工事が始まります。

まあ、その工事も看護師や医師がやるんですけどね…

外科病棟はICUから転床してきた患者が入院しており、手術後なだけだから

転院受け入れもなく、退院できるまで、最後の最後まで患者が残ります。

でも、工事は一応5日からということで区切りをつけたみたいです。

日勤のスタッフは4日までは来るから、私も来て欲しいとのことで、

結局最終日は4日ということにしました。

といっても、最後のセミナーは5月25日に終わらせ、挨拶まわりをしてただけですが…


朝行ってみると、工事開始前日ということで、休みや夜勤のスタッフもほぼ全員来ていました。

自分も病棟のPC内の整理や資料の整理をしつつ、なんとなく彼らの顔を見に行き、

他の病棟に写真を配ったり、写真を撮ったり…

あんまり実感のないまま、会議までの時間を過ごしました。


毎朝病棟で開かれているドクターの会議に呼ばれる予定。

挨拶する時間ももらえるだろうと思い、日本語でいろいろ考えてたけど、

バタバタしすぎて、集中できず。なぜか師長がソワソワしているので、自分もソワソワ。

ほんで、看護師・看護助手も参加している中、部屋に呼ばれました。
IMG_5056.jpg

促されるまま前にでて、医長から挨拶。
IMG_5050.jpg
尾ヒレ・胸ビレ・背ビレ・・・たくさんのものがくっついていたけど、

2年間の私の活動について話していただきました。

看護師が意見を持って働くためにどう指導すればよいかを医長に相談したこと、

ストレッチャーの方ではなく、薬箱など自分で考えて提供したものについて、

新看護記録用紙と看護過程について教えていたこと、

患者のケアを率先してやっていたこと(オムツ交換とかストマ管理とか…)

そういう小さなことをちゃんと見ていてくれて、褒めてくださりました。

それが一番嬉しかったです。

多少誇張はされていたけど、看護師や看護助手に、今後自分たちで変わっていくように

意見を持って働くように説明してくれました。

だから、その時点で感激でした。


と同時に・・・

私は後ろで師長が広げているものが気になって、若干顔がひきつりました(笑)





病棟からいただいた餞別の品
IMG_5058.jpg

絨毯でした(゜∀。)でっかいでっかい。

『ホラズムから、記念に。2012年』とわざわざ文字を入れてくれたのです。

ということは、特注。何日前から考えてくれてたんだろう。

そして、サイズがデカイほどもちろん費用もかさむはず。

うわぁ、どうやって持って帰ろ…と一瞬苦笑いになったけど、

みんなの気持ちがすごく嬉しくて、涙腺は緩みはじめました。

挨拶の時間をもらったけど、医長に

『私の活動を助けてくださって本当にありがとうございます』と言ったあと

言葉につまり・・・

みんなに向けてたくさん言いたいことはあったのに

『本当にありがとうございました』と言うのが精一杯。

号泣でした(~_~;)
IMG_5065_20120607043744.jpg


え!?明日は来ないの??本当に帰るの??もう来ないの?

と、今更気づいた同僚もチラホラ。

ハグやキス、固い握手で全員が別れの挨拶をしてくれました。

ホント、心残りはありません。

最後、どんな雰囲気になるかなと思ったけど、師長さんや医長がちゃんとチャンスをくれました。

本当にありがたいです。


落ち着いてから、院内をもう一度回って、会いたい人に全員会えました。

看護部長のところにいくと、提出した報告書に対して、部長さんなりに評価を。

名前やサインまでしっかり入れてレターを作ってくれてました。
IMG_5112.jpg
もちろん、いいことしか書いてないけど、形に残るので嬉しいですね。

真ん中が部長で、左は部長補佐のフェルザ。

私が赴任してから、看護部長は3人目だけど、フェルザはずっと私たちの活動を見てくれてました。

2番目の部長にはいろいろ悩まされましたが、それはフェルザも一緒。

だからお互いに戦友のような信頼感があります。


フェルザも、ホントにこの日が最終日だと気づいて、外まで見送ってくれました。

2年間のことを色々話しながら、これからのことも話しながら…

フェルザは日本に連れて行きたいと思うくらい、いい看護師なんです。

いろいろ相談もしたし、ウズでの親友といってもいいくらい。

最後にハグしてくれて、みるみる彼女の顔が歪んで行き、号泣。

それにつられて自分も号泣。

自分が先に泣いたくせに『泣かないで泣かないで、涙は必要ないよ』って言うんです。
IMG_5135.jpg
一番辛かったのはこの時かも。


あぁ、ホントに最後なんだなと噛み締めながらみんなの顔を目に焼き付け、

病院の雰囲気を心に焼き付け・・・

こんなに帰るのが辛くなるなんて半年前は想像もしていなかったなと。

いつでも帰ってやる!って思ってた時期もあったのに。



勤務終了時間までカウントダウンをしてたけど、直前に患者さんに頼まれて

その時間には腹帯を巻いていました。

これが、私の最後の仕事(^Д^)

あ、帰る直前に、同僚にPC入力と印刷を頼まれました(笑)

やっぱり自分らしい。


4年間勤めた日本の職場を離れる時より、もっと後ろ髪をひかれる思いでした。

私物が残っていないことを確認してロッカーに鍵をかけ、

師長と医長に挨拶して去りました。


2年間、本当にどうもありがとう。

教えたいことも伝えたいこともたくさんあったけど、学ぶこともたくさんありました。

ここでの経験というより、出会った人達のことは忘れたくないな。

書ききれないくらいのたくさんの思いを胸にしまって、日本に帰ります。

たくさんの思い出をありがとう(#^.^#)
同僚紹介をひとまずおいて、思い出づくりの旅について。

殺人的なスケジュールの中、お世話になった人とヒヴァに行ってきました。

2ヶ月前くらいから約束してたんは、病院のオシュホナ(食堂)で毎日

おいしいソムサを作ってくれてたおばちゃんの子供たちとの遠足。

ヒヴァまで来るまで30分だけど、なかなか行く機会はないみたいで、

忙しいお母ちゃんに変わって、連れていこうか?と打診。

日本人なら、いくら2年間住んでても、いつもご飯食べにくるだけの外人に

『子供さんと思い出づくりに京都行ってこようと思いますが、どうですか?』

なんて言われたら、丁重にお断りしますよね(笑)

ま、そこは信用のある日本人なんだか、おおらかなウズ人なんだか、

何にも考えてないだけなんだか・・・

たいそう喜んでもらえましたので、これだけは絶対約束を守ろうと決めてました。


おばちゃんには息子が2人。14歳と7歳。

14歳の息子はめっちゃしっかりしてて、学校が終わったら食堂を手伝っていました。

実は4月から、ある理由で食堂が開けなくなってたんですが、ここのソムサは病院スタッフの

大事な昼ご飯。強い希望もあったのでしょう。

今は、家で焼いたソムサを息子が病院まで配達しにくるようになってます。

という理由もあり、ヒヴァ行きは配達との兼ね合いもあって時間でもめたんだけど、

土曜日の10時から3時までということで決行!

おばちゃんのアツアツのソムサが食べられなくなってだいぶショックだったけど、

帰国前に会えてホントによかった。
IMG_0596_20120604204322.jpg
長男バフロム、次男ユスッポイ。


当日は、集合時間守れるかなと心配だったけど、30分も前から来ていて

ホントに楽しみにしてたんだなーというのが伺えました。

実は、このヒヴァ遠足を聞きつけて、他の病棟の看護師がうちの子も連れてって!と言い出し、

前日までは行く気満々だったけど、当日になって連絡がとれず…

子供らだけで集合場所に来る予定だったから、先に行くわけにもいかず、

早く行こうというバフロム達をなだめつつ、いろんな方面から連絡をとって…

結局、行かない(っていうか集合場所に向かってもいない)って返事をもらって

30分遅れで出発したのでした。これで神経つかった(o´Д`)=з


ものすごい熱さの乗合バスに揺られながらも、ハイテンションになる次男。

逆に、熱さと子供のパワーでエネルギーをもぎ取られる、あけみんさんとオゾダ(笑)

ぶっちゃけ、ヒヴァについたころはぐったりでした。


城壁にあがり、見張り台にあがり、灼熱でも青空に映えるヒヴァの遺跡と

すごいね綺麗だね!という子供たちの笑顔に癒されましたが。
IMG_4783.jpg

んで、ほとんどバフロムが私のカメラを占有してました。
IMG_4784.jpg


疲れたらアイスを食べ、お弁当にもってきたソムサを食べ
IMG_4817.jpg

ヒヴァで毎回お世話になってるお土産やさんでくつろぎ
IMG_0714.jpg

ミナレットに登り・・・
(年齢制限があり、ユスッポイは登れず。バフロムは登りたがってたので、しかたなく
 私がつきあって登り、ユスッポイはあけみんさんと下で待つことに。)

いい思い出ができました!

が、ホントにくたびれたわ(゜∀。)暑かったし。


お母さんにお土産を買おうと、兄弟が選んだものを私たちがお金を出して買うことに。

でも、他にも、これもこれも買ってあげたいとダダをこねる弟。

もう買っただろう、となだめる兄。しかもお金の管理もしっかり。

お母さんへの愛とともに兄弟愛にも癒されました。

なんだかんだ一歩譲るのは兄のほうやしね(笑)
IMG_0735_20120604204321.jpg


暑いなーと無意識に口にでちゃうけど、バフロムは

『そんなこと言っちゃだめだよ。観光客のために居てくれてる人に感謝しよう』と

大人な発言!

ユスッポイがはしゃぐと

『今はお昼寝の時間だから、みんな休んでるから騒ぐな』と注意。

遺跡内で働いている人、住んでいる人にも優しいバフロムでした。

ついでに、『弟と一緒にいると怖いんだ』と。

こけたり落ちたりして怪我したらどうしようとか、迷子になったらどうしようとか…

あー、自分もそうだったわ、と思いつつ

バフロムが安心して観光できるように、弟の行動に気をつけてあげてました。


帰るのが名残おしいけど、めっちゃめっちゃ楽しかった!ありがとう!

と満面の笑みで言ってくれて、うちらも来てよかったなと思いました。


将来は医者になりたいというバフロム。

まだまだ甘えんぼさかりのユスッポイ。

年が離れているのもあるけど、仲のいい優しい兄弟。

2人から学ぶこともたくさんあり、とても楽しい1日でした。



夜は、おばちゃんにメフモンに誘われたけど、後日ということにして…

ウルゲンチ隊を招いて中華料理パーティー。

残った食材を整理するため。豪華で楽しい夜でしたvv

暑かったけど大満足な1日(^^♪
いわゆる中堅Nsたち。

そんな年でもないんだけど、若手から急におばちゃんばっかりになります…

マシャリポーヴァ ショイラ1977年生まれ
ショイラ
飲み会や行事には必ずいてたし、私が1年目くらいの時に、数ヶ月重症部屋の日勤だったので
一緒に働いてました。っていってもコキつかわれることが多かった…
おねが~い、って言ってなんでも頼んでくる世渡り上手な人。
でも、パンとか手作りソースとか色々くれたなぁ。


サマンダローヴァ サロマット1972年生まれ
サロマット
思えば10歳以上年上だったんだね、サロマット…対等に言い合いをよくしたわ(笑)
基本揉め事嫌いで、ヘコヘコタイプな人。本音と建前がよく分からん典型的ウズ人。
飲み会の時は汗びっしょりになってダンス踊ってたりして、ムードメーカーではあります。
仕事となると、もー(ー_ー)!!って思うことがよくありました。



エギャモヴァ ナゾキャット1982年
ノザキャット
ここ、クセモノ!プライドが変に高くて関わりづらかった。
ウズでは基本年上の人にお姉さん(オパ:ホラズム州ではオプキャ)ってつけて名前呼ぶんだけど、
そんな年変わらんし、呼び捨てしてたら『私あなたより年上よ』ってぼそっと言ってきて
意地でも呼び捨てにしてました(笑)私のことは下の子も呼び捨てのくせにねぇ。
患者さんへの対応は優しいなと思うし、仕事もできるほうやと思うけど、なんでも笑ってごまかすし
こきつかわれて疲れるので、最後のほうは一緒にはたらきませんでした。


ラッザコーヴァ マロハット1984年生まれ
マロハット
この人は、最初オプキャとつけて呼んでましたね(笑)年下やんけ!
目立たない人やし、一番遠い部屋で働いてることが多いし、最初は不信感丸出しにされ…
オゾダと一緒に患者を迎えに行くのは怖い(言葉が通じないかもしれないから)!とかねvv
私も敬遠してたんだけど、1年くらいたってから急に信頼してくれるようになって、
いつもすれ違う度にウインクしてくれてました。意外と理解力が高い子やって分かって
看護過程については色々教えました。緊張しぃなだけで、スゲーいい子です。


ハッサノーヴァ マルーダ1985年生まれ
マルーダ
この子も年上やと思ってたわ!表情がふてぶてしく見えるし、おとなしすぎて
最初は全く関わりなしでした。でも、意外とカワイイとこあるんですよ。
マロハットよりはちょっと容量悪いけど、努力家タイプです。
年が近くてキャラが似てるからか、マロハットと仲がいいし、私もよく名前ごっちゃになってました。
もっともっと探りたかったなっていう子です。


ジャバロヴァ アズィザ1981年生まれ
アズィザ
アズィザは一緒にいて安心できるオーラというか雰囲気のある人ですが、
写真とか現像してあげても一切お金払ってくれなかったな(笑)しれっとしすぎて。
なんでも流すタイプで、別にすごくできるわけじゃないけど怒られることの少ない人。
まあ、こっちも真正面からぶつかるようなタイプじゃなかったってことですね。


フダイベルギャノーヴァ グリスタン1962年生まれ
グリスタン
グリスタンオプキャは言わずもがな、病棟で一番年配。
そして、私の生まれた年にこの病院で働き始めたという長い経歴の持ち主。
でも他の看護師は、グリスタンオプキャはねぇ…というふうに色々諦めていてて
関わってみると、スゲーいい人なんだけど、もうおばあちゃんっていうくらいの人でした。
忘れっぽいし、テキパキは働けないし。でも、最後の看護過程の授業のときは、
色々教えて!って意外と積極的でビックリしました。
母親くらいの年なんですよね。そう思うと愛おしい人です。


クルヤゾーヴァ ディルフーザ1982年生まれ
ディルフーザ大
彼女はねー…医者とイチャイチャするし(未婚)最初は嫌いでしたね。プライド超高いし。
仕事は出来る方で、PC入力も唯一できる看護師だったので、そういう仕事を一緒に
やらされることが多くて、関わりは多かったけど、よくイライラしたわ。
『いうてもオゾダは看護師やし、私は消毒介助のこともっと勉強したいけど、あなたは
 教えることできないでしょ』って最初にアンケートに書かれてイラっとしたんだけどね(笑)
日本の看護師をなめんなよ。
たまにカワイイとこもあるし、意外と若くて年近かったし、最近になって嫌悪感なくなりました。


ボルタエヴァ ショヒダ1984年生まれ
ショヒダ
病棟の宴会部長。これだけのメンバーで唯一同い年ショヒダ。
強引で上から目線で、めっちゃよくイライラしたわ。でもこっちも対等に言いましたけど。
1年半くらい、面会者をさばく入口で仕事してて、病棟の会計みたいな仕事もしてて
看護職なのか??と疑うほどだったんだけど、やっぱり看護師やったらしい。
容量だけはいいしイベントには必ずいるからスタッフとの仲はいいけど、私は好きじゃなかった。
でも、いつもPC入力頼んでくるから、もう私帰るし自分でできるようになりなよ、と
昨日PCの基本的な操作方法を教えたら大興奮してました。
言葉の壁で微妙なニュアンスが通じなくて、イラっとさせられてただけなんかもね


ラジャポーヴァ イクボル1972年生まれ
イクボル
巨体さん(笑)この人は、飲み会には必ずいるんだけど、赴任して2ヶ月目くらいの時に
『私から師長に頼むから、今日の夜勤交替して!お願い!!』と言われた時以外
一切職場で見かけず、何者なんだ!?と思ってたら、夜勤専門のNsでした。
もちろん交替はしませんけど。月に数日、どうしてもスタッフが埋まらない日に夜勤してるっぽい。
年齢不詳だったけど、師長と同い年ってことが判明。




仲がよかった人たちより、この人たちのほうが書くことがたくさんあるっていうね(笑)

喧嘩するほど仲がいい、というのとは違うけど、もめた分だけ印象には残ったかな。

1年目の時に一緒に働いていて仲のよかった看護師が2人(育休中)
グルノーラ、シャフロー

2年目、意外と看護過程に食いついてきていろいろ教えてた看護師1人(産休中)
ソヒヴァ

新人指導したけど、他の病棟に移った看護師1人
ムボラック

他にも何人か入れ替わったのかもしれないけど、私の記憶に残ってる

外科病棟の看護師は以上です。


今となっては全員愛おしい人たち。

もっとたくさん伝えたいこともあったし、話したいこともあったし、聞きたいこともあった。

家庭がある人は子供の前では一気に母親の顔になって、仕事と家庭との区別をあんまつけないし

みんなそうだから、子供を職場につれて来てもOKな雰囲気は日本では考えられなかったかな。

看護師になりたくてなったけど、家族のために仕事してるっていう感じです。

だから、向上心も持ちにくいし、改善とか質の向上とかには関心がなかったでしょうね。

中堅・年配のNsにはウズ語とかロシア語とか、言語面でいろいろ教えてもらい

若手の看護師に期待して一生懸命教えて、食いついてきた人には真剣に対応して…

そうやって関係を築いてきました。

こっちの熱意は伝わって、2年目後半は病棟全体の雰囲気も熱くなってたと思います。

外科から変えていこう!みたいな。

病院内で一番忙しい部署で、みんな辞めたい辞めたいって言うんだけど、

どうかみんなで頑張っていってほしい。せっかくいい病棟なんだから。


2年間本当にどうもありがとう!いろいろ悔しかったけどいろいろ楽しかった。

みんなとあえなくなるの、めっちゃ寂しいわ。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。