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2012.02.07 サダメ
電気が消えるともっぱら何もする気がおきない・・・

でも寒すぎて寝れない・・・

って言ってるそばから消えるし(-"-)

ガスは先週末から全くでなくなりました。

唯一ボーボー出てた隊員の家もでなくなりました。

期待していたお湯もでなくなりました。

家の中なのに靴下4枚履いても足がかじかんで

湯たんぽ作ろうと思ったとこだったのに、停電。ポットが使えない(T_T)

毛布にくるまってたら、ロウソクの火が燃え移りそうになりビビリました。

12月末から引きずってる風邪が若干悪化。

それでもこのまま強引に冬をこすのかな。

早く平和な春が来ないかな。


セミナー、部長からの依頼、師長からの依頼…で作るべき資料がたくさんあるんだけど

最近は思うところがあって、あまり手についていません。

いや、手につけていません。

じゃあなにをしているかというと

他の隊員から借りた本、ボランティアルームから借りてきた本を

読み漁っています。

私は本を読むことが好きです。一度読んだ本でも何度でも読みます。

リラックスにはならないけど現実逃避はしています( ̄Д ̄)ノ

知識を得るためにではなく、自分の考えをまとめるために本を読んでいる気がします。

フィクションでもノンフィクションでも、ミステリーでもファンタジーでも。

特に好きな作家はないけど、重松清と東野圭吾は結構好んで読んだ気がします。

それで、全く手をつけたことがなかった村上春樹の本を読んで、久々にもってかれました。

一度読んだだけでは府に落ちないことが多くて、何度もページを読み返し

登場人物の設定を確認し、文体に疑問を持ち…

話の進行に素直について行けず、村上春樹さんの表現の世界にどっぷり迷い込みました。

彼はこういう読者がいることを想定しているのでしょうか…

とにかく上下巻を読み終わるまでは他のことが何も手につかないから、

とりあえず読み終わろうと2日間ご飯食べるときも読んでいましたが、

読み終わっても他のことが手につきません(-_-;)


いえ、ただ逃避しているわけではないのです。


最近、運命・宿命というもののことをよく考えるようになりました。

人生は決して平坦なものではなく、

誰にでも乗り越えないといけない壁なりなんなりが現れるわけです。

そういうことは思春期になる前に気づいていて

人生甘くないっていうのは分かっていたことでしたが

自分はその壁を乗り越えないといけない、乗り越えないと強くなれない

と脅迫的に思っていました。

でも、果たして自分は強くなりたいのか?強いって何?

と疑問に思うように。

そして自分の場合は、真っ向からその壁を壊そうとすることもあったし、

乗り越えること=壁をよじ登ること、としか考えもしませんでした。

・・・が、壁の下を掘ってみようとか、待ってたら雨風に侵食されて

壁が崩れるという可能性とか、もしかしたら壁じゃないのかもっていう疑いとか

そういうものは一切考えなかったわけです。

それで、崖を登っている夢を見るほど、いつも疲労感を抱いていました。


なんでかわからないけど、霧が晴れるようにスッと分かりました。

目の前の壁は今すぐ登らなくてもいい、ということにようやく気づきました。

まずは様子を見てみようっていう余裕を持てるようになりました。


そういう時期にあって、今の自分は全くスムーズに事が進まず、体もしんどいが

ひとまず大好きな本でも読んで自分の考えを整理する時間を作ってるわけです。


運命・宿命に戻りますが

自分の生きている世界は、未来は全く予想もつかないものだけど

ある程度自分の選択で操作ができるものだと信じていました。

だからこそ、しっかり考えて間違えないように生きていかないといけないと…

それが、最近数多く身の上に起こることを振り返ってみますと、

そうなるようになっていたのではないかと。

自分の思いとは裏腹、予定外のことばっかりなんだけど、

なんか線になってつながることが多いんです。

これ、10年前くらいにふと疑問に感じたことなんだけど、その時は漠然としすぎてて

自分の中でもまとまらなかったんです。

今でも上手く表現できません。

でも、たぶん、言葉にするなら『宿命』。

宿命というものを信じるようになりました。

自分の選択次第で未来は変わるとは思います。

だからこそ、意志は必要だと思います。

流れに身を任すだけじゃだめだと思います。

でも、意志に反することも、何か意味があって起こるんだろうなと思えるようになりました。

それは、数々身の上に起こったことを順序だてて整理してみるとつながることが多いからです。

これは自分に与えられた試練なんだと思えても、

これから先起こること全て、自分に必要なことなんだ、意味のあることなんだと

思えるようになるかはわかりませんが、

とりあえず様子を見てみよう、という柔軟性が持てるようになった気がします。


今、思い描いていた半年後の自分が全く見えなくなっています。

2年前の自分には信じられないことでした。

まさか自分に限って帰国後の進路に迷うとは…

そして1年前の自分なら、すごく焦っていたと思います。


2年間の活動の終わりがリアルに見えてきて、思うことが多々あるわけなんですが

自分の思い描いていたプランが白紙になっているということは、

ここで2年間活動してきたからこその

『変化』であり、『成長』であり、『岐路』であるのだろうなと。

でも帰路の真ん中に立って右往左往するのではなく、俯瞰している自分に気づきました。

あと数ヶ月、どうなるか分らない。

そんな変化を期待する余裕を持てるようになりました。


前向きなようですが、見る人によれば、

ただ未来が見えなくなってる迷える子羊なのかもしれません。

でも決して怠惰に過ごしていたわけではなく、一生懸命生きてきたつもりで、

努力してきたつもりなので

そんな自分自身を信じて、少し様子を見てみようと思います。

きっと、間違いなく自分は、

ウズベキスタンにくることになっていたのだと思うので。

抗っても疲れても針が刺さっても、2年間活動仕切るように導かれてると思うので。
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