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生きているということ
  いま生きているということ
  それはのどがかわくということ
  木(こ)もれ陽がまぶしいということ
  ふっと或るメロディを思い出すということ
  くしゃみすること
  あなたと手をつなぐこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  それはミニスカート
  それはプラネタリウム
  それはヨハン・シュトラウス
  それはピカソ
  それはアルプス
  すべての美しいものに出会うということ
  そして
  かくされた悪を注意深くこばむこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  泣けるということ
  笑えるということ
  怒れるということ
  自由ということ

  生きているということ
  いま生きているということ
  いま遠くで犬が吠えるということ
  いま地球が廻っているということ
  いまどこかで産声(うぶごえ)があがるということ
  いまどこかで兵士が傷つくということ
  いまぶらんこがゆれているということ
  いまいまが過ぎてゆくこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  鳥ははばたくということ
  海はとどろくということ
  かたつむりははうということ
  人は愛するということ
  あなたの手のぬくみ
  いのちということ





自分が悩んだ時に
すっと心の中にはいってきた詩や言葉でもあるけど
悩んでいる誰かの傍にいた時に
自分は何も言えない。
でも、何にも考えてないわけじゃなくて
悩みは違うかもしれないけど
全部は分からないかもしれないけど
伝わらないかもしれないけど
傷つけちゃうこともあるかもしれないけど
理解しようとしています。
知ろうとしています。

やっぱり誰かと一緒に生きているから。


生きているってことは
生まれてきたってこと。

生きているってこと。
生まれてきたってこと。
それがどういうことなのか
ずっと考えてきました。

偏見とか嫌なのでここからは読んでくれる人だけ
読んでください。↓
生まれてから○年たつという日

自分を生んだ親と
自分以外には何でもない日。
親が忘れるということで
何でもない日になってしまったから
特別な思いはもたないようにしていた。

毎年この日を迎えるたびに
おめでとうという言葉や贈り物に恐縮し、
どこか他人事のように感じていた。
歳を重ねるごとに
この日を覚えてくれているのは友人だけになっていた。

生まれてきてくれてありがとうと言ってくれる親友がいて。
本当なら何でもなかったこの日に
おめでとうと言ってくれる仲間がいて。
その気持ちに対して
ありがとうと心からそう思う。

でも自分のことを知らなければ、出会わなければ
お祝いなんて必要なかったはずなのに
申し訳ないなと思っていた。

だからこの日はいつも
なんで自分は生まれてきたんだろうと考える。


小学校1年生の時
鏡を見て自画像を描くという図画の時間に
自分の顔をまじまじと見て
なんで自分は自分なんだろうと考えた。
そして自分が生まれてきた意味
生きている意味ってあるのだろうかと
ふと思った。

その後
事あるごとにその疑問が
頭の中を占めるようになっていた。

自分が生きていることが申し訳ない
生まれてきて申し訳ないとさえ思うこともあった。

自分が生まれてさえこなければ
出会わなかった人もいるわけで
出会わなければ自分が迷惑かけることもなかったわけで。
一緒に居て楽しいとか幸せとかって気持ちがあったとしても
最初からいなかったのなら、そもそもなかったわけで。
だから自分がここにいることが理解できなくて。

自分のために生きるには
あまりに価値を感じなかったから。

それでも生きる意味というか
自分が存在する理由をつけるとするなら
生きるために生まれてきたのであって
死ぬために生きるのだと
なんとなくそんな風に考えるようになっていた。

見つけられない答えを作っただけだった。

それでもそんな単純ではなくて。

ここにいてよかったと思うことはあっても
生まれてきてよかったとは思わなかった。

だからといって
生まれてこなければよかったと
一生悩むような
暗いみじめな人生を歩むつもりはなくて。
そんな卑屈になることこそが不幸なことだと
そういう意識があった。

生まれてきた意味
生きている意味を考えてもしかたない。
生まれてきた目的
生きている目的はなんなのかと。
過去ではなく今と未来に目を向けた。

まあだからそんな単純に
答えはでないんだけど。

そういえば、自分も周りに対しては
生まれてきてくれてありがとう
出会えてよかったありがとうと
そう思う。

出会わなければ思わなかったこと。
でも出会ったから思うこと。

生きているからこそ思えること。

迷惑もかけるし
喧嘩もするし
傷つけるかもしれないし
むかつくかもしれないけど
一緒にいて
笑えて
泣けて
怒れるのは
生きているからできること。

一緒にいて楽しいことがあって
嬉しくて
なんか温かい気持ちになって
ほっとする。
それじゃないと意味がないと思ってたけど、
それだけじゃないんだと。

それだけじゃなくても
生きててくれてよかったと思う。
自分にとっての誰かに対してそう思うように
誰かにとっての自分はそうなのだろうか。

結局のところ、
誰かにとっての自分というのを考えないと
ここまで辿りつかない。

だから人間は一人で生きてないんだなと思う。


それでもうひとつ

生きていてよかった
と思うのと
生まれてきてよかった
って思うのは
少し意味が違うということに気づいた。

ということはつまり
生かしてくれてありがとう

生んでくれてありがとう
という違いであって。

生んでくれてありがとう
というのは親にしか言えないことなんだと。

生まれてきてよかった
と思うことがなかったのであれば
生んでくれてありがとう
と心から感謝したことはあるだろうか。

お母さんごめんねと
今は心からそう思う。
もっと早く気づきたかった。
もっと早く伝えたかった。
直接言いたかった。

生んでくれてありがとう。


回り道をしてたので20年かかりました。


誰かに対して
生きててほしい
生きててほしかったと思ってばかりだったけど
これだけ時間をかけて・・・
最近
自分も生きててよかったと
そう思える瞬間が増えてきました。
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