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生きてます。

めずらしく1週間以上空いてしまいましたが、後追いで記録します。

もうすぐ訪問10000人達成あと2日くらいかなぁ。

もしキリ番だった方はメッセージください。

フドホフラサ、ウズベキスタン名物スミチカをプレゼントします(゚∀゚ )


首都で2日滞在後、同期と4人部屋に2人でという贅沢な夜行列車の旅をし

ブハラに行きました。ブハラには6回目くらいの訪問…

ウズベキスタン日本センター(日本語や日本文化を教えている:略してUJC)

のブハラ分室で同期と後輩隊員2人が活動しています。

そのUJCブハラ分室が開校5周年を迎えるためセレモニーが開催されたのです。

といっても、準備を手伝うことは何もなく、遊びに行っただけですが…

日本展の時の経験から、前日のテンパリ具合は予想していたため

2泊もさせてもらうし、少しでも負担が軽くなればと思い、前日の夕飯作りをさせてもらうことで

貢献させてもらいました。大人数で食べれるようにと思って、中華料理を…

予定より人数が増えて、追加追加でずっとご飯作ってまして、写真が一個も残ってない!!!

残念… なのでレシピはまた今度ね、JO君!


開催当日。会場は近くのホテル。
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UJCに通っている生徒やスタッフがもてなしてくれました。
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ウズベク人は、顔が濃いけど美人でスタイルのいい女性が多い!着物も似合う!!


折り紙・着付け・けん玉・福笑い・習字・巻き寿司…

などなど体験型のブースがあり、どこも大盛況

手伝ってほしいと言われていた着付けブースは人がいっぱいで入れず、会場内の写真撮影に徹してました。

後半、主催中心メンバーの同期隊員ががっつりはいっていた習字のブースを代わりに手伝うことに。
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名前を聞いてカタカナで書いてあげて、それを手本にして筆で半子に書いてもらう、という内容です。

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書いたの見せてーというと、みんなこんな感じでポースとってくれました(笑)かわいい!


日本語を習っている人も、習字で書くのは難しいと思います。

初めて日本語に触れる人ももちろんいます。

若干カオス状態になってたけど、みんな個性あふれる文字を書いて満足していました。

なかにはこんな親子も。
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達筆じゃないですかー(゚∀゚ )って私が書いてあげたんですけどね…

自分じゃ書けないけど『日本人が筆で書いてくれた日本語の自分の名前』ってだけで宝物

友達の分も、お父さんやお母さんや妹の分も…と言って、いくつも名前を書く子もたくさんいました。

習字、嫌いだったけど(汚れるし片付け大変だし、字下手だし)

楽しんで文字を書く姿を見ていると、私も習字したいーって思いました(笑)


2時間ほど盛り上がって、展示・体験ブースは終了。

会場を移してダンスや歌の発表会でした。


日本語教室に通っている子供の歌やダンス、JOCVとJICAスタッフのドゥタール(民族楽器)演奏、

ウズベキスタン伝統のダンス、ソーラン節…などなど。

思った以上にクオリティーが高くて楽しかったです。

一番感動したのはブハラダンス。後輩隊員さんが夏から練習していたの知ってたんで

姿を見つけた途端、なぜかウルッときました。準備も練習も大変だったろうに…

でも、静かでキレイなダンスで、ブハラ赴任だったら習いたかった!
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見ていて目の保養になるダンスでしたー。

ステージの最後は盆踊り。最後は会場内のお客さんも混ざって、大きな輪を作って踊ってました。

日本展の時、この盆踊りしたかったんだよなぁ…こんなふうになるんだなぁ…と思って見てました。

歌や踊りが大好きなウズ人に合わせたイベント。

でも日本人のセンスも光っているので、私たちも楽しめたイベントでした。


直前にステージイベントの司会をすることになったという同期JO君。

やっぱり飄々とこなしていて、すごいなぁと…


そんな愛弟JOと。おつかれさんでした!ありがとー。
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2012.03.11 3.11
9.11とともに記憶に残る日になりました。

他の隊員のブログを先に読んでしまうと、自分のこの日に対する気持ちを表現するのが

とても恥ずかしくなります…

去年の3月11日、事務所からメールを受け取った時は病棟での指導中でした。

写真も映像も見ることのできない状況で、大きな地震があったという情報のみ。

事態を想像するまでに時間がかかり、全く実感がなかったのを覚えています。

動画ニュースは結局数ヶ月してから見ることができましたが、

日々ネットニュースで拾う地震・津波の情報に、不安を募らせていました。

同時に、活動がマンネリ化しつつある時期で、ただの雑用化している毎日。

聞く耳も持ってくれない、そんな人たちに少しでも理解してもらおうと必死になって

疲れて…の繰り返しで、日本が大変な時に、なんでここにいないといけないんだろうと、

こんなところに今自分がいる意味が全くわからなくなっていました。

いっそ帰国したいという気持ちがどんどん膨らみ、よけいにモチベーションは低下。

そういう気持ちをなんとか消化したのは6月の事でした。

ちょうど活動1年目を迎え、自分は2年間の活動をやりきることが使命だと思うように。

隊員が派遣されているほとんどの国は発展途上国と言われていますが、

日本へのお見舞いとしてたくさんの援助があったと聞いています。

それも、地道な活動の中で築き上げてきた信頼関係が国と国との関係にも発展してるから。

草の根活動が決して無駄ではないことを証明してくれたのです。

だから、途中で投げ出さずに最後までいることが自分が日本人としてできることなんだと・・・


正直、今でも実感はないままです。

地震後に派遣が決まっていた隊員、地震直前に帰国した隊員、その時派遣中だった隊員。

派遣を中止した隊員。

それぞれにそれぞれの思いがあると思います。

地震後に応募数が激減して、隊員の確保が難しくなったそうです。

我々22-1次隊は、本来2年間の任期の延長も考慮されることになりました。

おそらく何人もの同期が、派遣国との関係を良好に保つため、任期延長を選択したと思います。

日本にいてできること、日本に帰ってできること、派遣された国に残ってできること、

そこから他の国にいってできること…それもそれぞれです。

私は一瞬任期延長も考えましたが、やはり予定通り帰国します。

災害・国際看護領域でしばらくやっていきたいので、もう少し勉強しようと思います。


被災地にいなくても行かなくてもできることはあるし、

復興作業に直結しなくても、無駄なことは何ひとつないと思います。

もどかしい気持ち、不安な気持ち、何かしたいと思う気持ち…

行動に起こせなくても、その気持ちが大切だと思います。


まず自分にできることは、1日1日を無駄に過ごさないこと。

楽しかったり、凹んだり、悔しかったり、腹が立ったり

いろんな日があるけど・・・今日という1日があること、

明日がくるということは当たり前じゃないんだ

と思って過ごすようになりました。


あの日から1年。

地震発生、津波被害を受けたその時間(ウズ時間)は

ブハラからウルゲンチに帰るタクシーの中でした。

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地震と無縁ではないけど、津波は決してこない砂漠の中にいました。

同じ地球の上にいるのに、生まれた場所、住んでた場所、その時いた場所が違うだけで

運命が大きく変わってしまうんだなと…

漠然とそんなことを考えていました。


ブハラからウルゲンチは500kmも砂漠が続きます。

舗装された道路は凸凹で、その修復作業も韓国の企業の援助で何年も続けられています。

私が赴任した当時、3分の1も進んでいなかった作業ですが、きれいな道も見えてきました。

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9時間かかるのを覚悟してたけど、7時間で着きました。

アムダリヨにかかる橋は完成していました。

川の水位が月日が経つほどに下がっているのが心配ですが…


明るいうちにウルゲンチに到着したので、久々ウルゲンチ隊全員集まって夕食会。


9.11も3.11も同じウルゲンチ隊員の誕生日です。

かたや忘れたいけど忘れられない辛い日であるのかもしれませんが、

私にとっては、忘れたくもないし忘れられない大切な仲間の生まれた日です。


だから、2012.3.11も大事な同期の誕生日をお祝いしました。

長距離移動でケーキが作れなかったので、ブハラでオーブンを借りて焼いたメロンパン。
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主役のモモちゃんにちなんで『桃』。見えなかったかな(~_~;)

ピンクの部分はイチゴ粉末、緑は抹茶を使いました。

強力粉がずっしりしてるので、ずっしりした食感になったけど美味しかったです。自画自賛。


それから、ウズの伝統的な柄のシルク100%ネクタイをプレゼント

その包装は、折り紙隊員が作ってくれました。じゅだやふし!
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モモ、24歳おめでとう


みんなが生まれてきたこと、みんなに出会えたこと、無事に生きていること

すべてに感謝です。

ふどがしゅくる
日本からお客さんがありました。

ウズベキスタンで2008年前後に保健医療プロジェクトとして

看護教育課程のカリキュラムの整備をJICAと共同で行なっていた大学の先生です。

プロジェクト実施後の評価として、毎年、独自に来ウズされているそうです。

我々ウズの医療隊員は、そのプロジェクト後、地域の病院に技術を浸透させるべく

派遣されているのですが、プロジェクトで関わった大学の関係者とは交流がありません。

そのへんが疑問…

プロジェクトの時の話を聞けば、もっと活動に活かせることもあるし、

モチベーションアップにもつながると思う(少なからず変化が見られるはずだから)

だし、現場に密着している隊員の声を聞くことが一番じゃないだろうか・・・と。

JICAが関係ないという以上、どうにもできないんですがね。

でも来ウズしている情報はあるのに隊員にまで入ってこないから混乱が生じるんです。


典型的な例↓

今週月曜日に朝一で師長に呼び出されて聞かれました。

『今週の水曜からJICAが病院に来ると聞いた。記録物を確認するの手伝ってくれる?』

え!?そんな話聞いてませんけど。。。Σ(゚д゚lll)

看護計画の記録を監査しに来るから、全部チェックしてほしいと。

監査?そんなことJICAはしないだろー。

そこでピンと

首都の隊員に、プロジェクトの時の専門家がウズに来ているという話を聞いていました。

その専門家がもしやこの片田舎のウルゲンチにもこられるのか??

すぐに事務所に確認すると、精神領域の先生で、主な訪問先はウルゲンチの看護学校。

そこから学生が実習にいっている病院に訪問されるのではないかと。


来ウルされる先生の連絡先を聞いて直接連絡とりました。

ボランティア2名が一緒に訪問についてきてくれると聞いている。
(我々にはどこからもその情報はないですが…)

どこの病院に行くのかは不明、とのこと。

部長の話と総合して推理した結果
・精神病院への訪問はおそらくない(情報クローズのため)
・訪問先は保健省が操作しており、話の流れからボランティア配属先を選択しているのではないか

ということで、うちの病院に訪問される可能性大。

もちろん保健省の人も同行。もー病院にとっては大変ですよ。


こんなとこに日本人が来るのだから、もちろん知り合いだと思われます。

何を準備したらいいのか、何を見にくるのか、質問攻め。

JICA関係者じゃないから私は詳細を知らないと言っても信じてもらえません。

部長にも呼び出され、準備をさせないために教えてくれないのかなどと言われる始末。



とりあえず知っている限りの情報を提供するも、何人がいつ来るのか明確でないため

1週間、毎日病棟内の大掃除、そして記録物の整理。

挙句の果てには、首都で看護師教育計画表の監査があったらしいとの情報が。

その計画表をボランティアに作成させるように、ホラズム州の保健省の看護部長から

うちの病院の看護部長に指示があったらしい。

日本人だから、何を書けばOKがもらえるか分かるでしょうと。

だから明日の朝までに2人で作成してと・・・


これ、絶対ぜぇぇぇったい必要ないって思ったんですよ。

だって、書くだけやもん。実際にやってるわけでもないし。

だから日本人なら、そんな見せかけだけのもんは確認する価値もないさ。

だけど、元から教育計画なんぞ存在もしてないところ。

新人や実習学生にこういうことを教えるんですよってことを病院側にアピールするため

せっせと計画表を作成&翻訳したのでした。


それから、またひとつ無駄な仕事が。

新人教育してますよアピールのために、師長やリーダー看護師が指導してるとこを

写真に撮れと。これも前日に師長を通して言われました。

部長から直接言われたなら、言おうと思ってました。

これは必要ないし、前日に言われても無理ですと。我々には他の仕事もあります、と。

でも、師長が部長から圧力かけられてるんです。

師長も『こんなやらせ写真私には必要ない。意味がない。でも準備しないといけない』

と泣きついてくるので、協力するしかありません。

2012.3. 4 хирургия
ヤラセ写真。

実際、学生が実習に来てるのはうちの病棟じゃないし、わざわざ捕まえてきて

足りない分は、若作りしたうちの病棟の看護師が学生役

他の仕事してるから、準備ができたら呼んでと言っているのに、

エラソーに呼びつけた挙句、15分以上待たされる

撮影して説明文入れて写真屋で印刷してくるところまでうちらの仕事o(TヘTo)

3時間以上残業して指定数の写真を作って、印刷へ。

その頃にはだいぶイライラ。ウズの写真用紙のサイズが合わなくて端が切れるし

自分で調整するって言ってんのに勝手にいじって文字を消すし

カメラ屋の青年は地雷を踏んだ。

そのうえ、いったいどーしたら満足なんだ?と聞くから

『こんな写真私には全く必要ない。ウズ人がキレイに印刷して来いと頼んで来たもんや。

ウズ人のあんたが見てキレイだと思うなら、それでいい。勝手にして』と青年にブチギレ。

ちゃぶ台があったら引っくり返してたね。



今週4日間、ほんと院内の大騒動に巻き込まれ、つきっきり。

末端で振り回されてるの、うちらなんですよ(-_-;)

私は、先生とお会いしてお話ができれば十分だし、

先生も見かけだけのものを見ても楽しくないと思うし、見抜けると思います。

だから、これは必要ない。それを見にくるのではない、そもそもJICA関係者じゃない!

と何度説明したことか…


でもわかりました。

一緒にくるであろう、保健省の看護部長を恐れてるんですわ。


保健省の看護部長>病院の看護部長>病棟師長>看護師>ボランティア>カメラ屋の青年


お気の毒に。
訪問者10000人達成まであと10名!(3月16日19:44)



今日の朝、職場につくと雰囲気が若干違う・・・

駐車場が閉鎖。待機中の家族がみんな追い出されている。

あ、今日お客さんが来るんだ、とピンときました。

といっても、誰からも連絡がありません。

師長も部長と連絡がとれないと言っているし、

ボランティアに会って配属病棟を見学されるのなら、こちらにも準備がありますが…

今までの経験上、院内の雰囲気をから十中八九『訪問あり』と判断。

おそらく保健省の動向はどこかしらから情報が入ってきているはず。


朝から師長がテンパリぎみで
『オゾダ、この看護計画はよく書けてる?間違いはない?』
『もし、記録がみたいと言われたら、このよく書いている看護師のを見せて』
『勉強会の資料とか全部、部屋にうつしたから、ここで勉強会開催してると説明して』
『今、まだ看護過程について、まだ看護師は全部わかってないけど、勉強してるとこよね?』

看護師もテンパリすぎて
『オゾダ、もう一回、この記録用紙の書き方説明して』
『これはあってる?間違ってるとこない?』
『お願いだから、間違ってるって監査の人に言わないで』
『一生懸命理解しようとしてるけど、全部はやっぱり分らないの』

わたしゃ聖徳太子じゃないんで、いっぺんにしゃべらんでくだされ( ̄Д ̄)ノ

確かに間違ってるところはあるけど、毎日真面目に記録している看護師。
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今、全部できてなくてもいいから。

新記録用紙は今月導入したばかりで、学んでるところだってちゃんと説明するよ。

とにかく悪いことを報告するつもりはないし、ウズ語で書いてあっても分らないでしょ

と、焦らないように諭すけど、

一緒にくる部長が見るでしょ?と言われました。そうでした。。。


あわてて何日分も、何人分もの患者のデータを私が作成した簡易記録用紙に記入する看護師。
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患者データとるために作ったもの。嘘の内容を適当に羅列されたらマジ困る゚(゚´Д`゚)゚

それは見せないから、書かなくていいよ!!といって取り上げました。


1日で何日分もの指導をしただろうか・・・

でも、この機会にでも聞いてきてくれてよかったのか・・・??

キレイにしてあったパソコン部屋。
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小人数制で勉強会してます、のアピール用。確かにそうだけど…


ほんで、突然呼び出されました。やはり、訪問にこられると。

師長・部長・副部長とともに15分以上前から外で待機してお出迎え。

部長、ピリピリしすぎて超音波発してました((((;゚Д゚))))


車から降りてこられた先生は、ウズ語で挨拶をしてくださいました。

日本語ではじめまして、と言うと、びっくりされてました(笑)

私たち、ウズ人化してたみたいで…

電話で話したよりもっと気さくな先生で、部長・師長もすぐに打ち解けた様子。


普段は使用されていない実習室を案内し、例の写真をファイリングしたものを見せてました。

必死で説明している部長の後ろで、副部長・師長とともに苦笑いの我々。

それは、完全なるヤラセ写真です。

あら、すごいですね!と感嘆してくださる先生に感謝です。


それから、お茶タイムということで会議室へ。

日本からのお土産をいただきました。我々にも日本クォリティーの筆箱。

ありがたいことです。

そこでしばし団欒している間に、病棟の準備を整える作戦らしい。

ICU・外科の師長達はキーキーなりながら電話で指示してました(笑)


途中現れたウズ人の男性。どこかで会った気が…向こうは私を知っている様子。

病院関係者?それとも前行った専門学校の先生??

どこでお会いしましたか?と正直に尋ねると

君とはタシケント行きの飛行機で会ったんだよ~、と。

あっ!

すぐ思い出しました。

あの親切な紳士でした。
優しいウズ人と出会って心が軽くなった時のブログ

あー、あの時の・・・電気つけてくれてありがとうございました!

いやいや…こんなところで再開するとは。やっぱり出会いってあるんですねぇ。

あの時私が、『スパシーヴァ(ロシア語でありがとう)』と言ったのが嬉しかったそうです。

完全に疲れてた時だったし、失礼な態度とらんでよかった・・・

先生が訪問されていた看護学校の副校長だそうです。


保健省の看護部長、看護学校の校長・副校長・実習担当部長、日本の大学の先生(+通訳)

病院の看護部長、我々ボランティア、という大名行列で病棟へ(笑)

かなりな威圧感だったと思います。


師長や部長に指示されたとおり、先生に説明・案内をし、無事に終了。

私たち隊員としては、先生とゆっくりお話をしたかったのですが

本日首都に戻られるとのこと。残念でした。


我々隊員のことを、『私の娘なんです』と満面の笑みで説明し

先生が車に乗り込んだ時に『またいらしてくださいね』と満面の笑みで見送った部長。

車が去ったとたん、能面のように表情が消え、イライラと電話をし始めたときは

完全にヒキマシタ。


その裏表、見てるこっちは怖いんですけど・・・


1週間のストレスと疲労と解放感で、この日の昼食はがっつきました。

作っておいてくださいと昨日頼んでいた、肉団子のスープ
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この食堂のお母さんのスープは絶品です。

最近、ただで食べさせてくれるジャム(左)と、特別にだしてくれたピクルス
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おいしかったわぁ
任期終了までのこり100日を切りました。


なんと、昨日2012年3月17日に、ブログ訪問10000人を達成しました。


ブログをはじめたのは、2年前の2010年3月16日。

今確認してびっくりしました。ちょうど丸2年です!すばらしい!!

活動記録のブログなので、2年間の活動期間が終了したら終わるつもりのブログ。

まさかこんなにもたくさんの方に読んでいただけるとは・・・

ちなみに掲載記事は365件。

毎日書いた時も、さぼったときもあるけど、平均して2日に1件のペースってことですね。


JICAに掲載許可申請をしているブログとはいえ、まるっきりプライベートな

生活や活動についての記事ばかりですが、最近は毎日25~30名前後の訪問で

安定しています。

いつもいつもありがとうございます。

時々いただくコメントやメッセージも楽しみで励みになっています。



そこで記念すべき10000人目の訪問者は、なんとウズベキスタンJOCVの先輩

N川さんでしたー


おめでとうございます


スミチカ1年分が贈られます
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どうぞ~~~~


(笑)


N川さんはPC隊員だったので、ほんとお世話になりまくりでした。

頼りになる先輩でした。

さりげなくブログチェックしていただいて、活動を見守っててくださったので

そんな先輩隊員が10000人目のアクセス者になってとても嬉しいです!

証拠写真も送っていただきました。
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そういえば、この画面は自分では見れないんですよねー。

すごいー!


あと90日ちょっとで、とりあえず帰国しますので、呑み行きましょー

おつまみにスミチカで(^^ゞ
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