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ネットの調子が悪くて、書いた記事半分消えた(つд⊂)ので変更。


昨日の夜から絶不調だったので仕事は休みました。

眠たいわけじゃないけど、起き上がれないほど脱力してました。


ほんの3週間前までは普通に食べてたご飯が、味もなくなり

量も食べれなくなり…

強い薬で胃も荒れ荒れなので、常に不快感がつきまといます。


ウルゲンチ会の夜にみんなと同レベルで食べてしまったので胃が限界だったらしく

昨日夕方から耐え難い激痛と嘔気・嘔吐で、今までで最大くるしみました。

挙句に停電で寒くなって…ガッツリ心がすさみます。

もうだめ、もう限界だわ、と。

あまりの激しさに人生終わりたい気持ちにまでなり、

ちょっと考え直して

活動辞めてしまおうかというレベルに少し下がり。

いやいや、予防のために飲んでるだけやから薬をやめてまえばいいんだわ

というところまでなんとか落ち着きました。

というか、薬どころか水分も飲めないくらいだったので

自己判断で昨晩の内服スキップ。


日本だったら夜間救急に行けばなんとかなるというのはあったけど、

ウルゲンチの救急センターは自分の配属先やからレベル知ってるし、

そんなところに行きたいと思わんし、どうにかなるとは思えないし、

でも胃薬内服すら無理で、改善方法が見いだせないまま。

というわけで安心感が全くないうえ、

こんな時に停電になっただけで精神的に限界を迎えてしまって

誰かにぶちまけそうになったけど、まあどうにか抑え込んで。

誰かにぶちまけているのをシュミレーションして、冷静になりました。

わめいたところで全く意味がない。

で、憔悴して寝ました。

ま、とりあえず生きてたし。バイタルも許容内だったし。

緊急かどうかの判断ができるがために、生死の分け目ほど緊急じゃないときに

結構限界迎えてても我慢してしまうのが職業病ですね。


化学療法、精神的にけっこうきます。

血液検査で、血球減少が許容内だったので内服続行してるけど

自己判断でやめようと思えばやめれるレベルなだけ甘い。

抗癌剤とか抗ウイルス剤が、生きるために必要な人のことを考えると

自分は、これを一人で耐えなきゃなと思ってしまいます。

だって期限つきだから。終わりが見えているから。


割と苦しんでいるのに、活動についても考えてしまいます。

焦ってるわけじゃないけど、時間も残ってないし誰かが代わりになるわけにもいかんし。

でも部長や師長にたのまれた講義の準備は全くすすみません。

今回の針刺し事故についても、当日以降は何も伝えられていません。


人に何かを教える、注意するときは感情に左右されたら伝わりません。

この国の人はそこまでドライじゃないので、情に訴えると感じてくれるところがありますが

この国の看護師に化学療法の副作用の厳しさを理解してもらえたり

感染症の怖さにきちんと気づいてもらえることは、正直ないと思います。

訴えることはできるし、知ってもらうことはできるけど、

それぞれが今後どうしていけばいいかというプロセスにはどうしても行き着かない。

同情してほしいわけでも心配してほしいわけでもなく、

今後同じ思いをする人を一切出さないように改善してほしいだけですが

下手したら『かわいそう』で終わってしまう可能性大。

糠に釘、暖簾に腕押し状態。

そこが理解できるだけの知識や情報がなかったのもあるけど、

神様が決めること、神様が守ってくれるはず的な意識があるところ。

心から信じる人の気持ちはわからないし、エセイスラムの人もたくさんいるけど

根本的に、『なるようになる』『なるようにしかならん』という精神が強い気がする。

この国の人からそれを感じているので、職場ではある意味、孤独です。


『伝えること』と『伝わること』の違いに気づいてから、

なんともやる気のでない時期を通過し、

それでも、言っていくこと伝えていくことは必要だと奮起していたのは

数か月前までの話。

伝えることの自己満足を実行できるだけの体力がありません。


今回の件は、被害者に近い立場だと思っていて、

副作用のしんどさを分かってもらえないことや、思うように活動できないことで

割に合わないと強く思ってしまっているから。

それもエゴかもしれませんが、自分は少なからず伝えたあとの反応を期待しています。

だから、期待に反する反応があったときにモチベーションが保てなくなる可能性があり

今は完全に無視を決め込んでいる状態です。

処置の介助にも一切ついていません。

今の自分は、怒りや悔しさを抑えて見守るほどの余裕がありません。


それほど化学療法ってやつはダメージがでかいんだなと。

自分は、ウイルスや癌に侵されているわけじゃなくて、ほぼ健康体なのに

ここまでダメージが来てるんです。

家族として、看護師として

今まで、分かってるつもり心配してるつもりで病人に接してきたんだなと思いました。

なんともいえないイライラを周りにぶつけたくなる気持ちもわかりました。


痛みに寄り添う、孤独に寄り添うなんて簡単なことじゃない。

勉強して分かることじゃない、体験したから分かることでもない。

でも新たな痛みや孤独を作り出さないようには接することができるかもしれない。

これを感じるために、体験するためにここに来たと思えばいいのかな。

それで、帰国後の進路が全く考えられなくなってたのは、これを考えろということなのかな。


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