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2011.08.05 日本展開催
半年越しの願いがかなって、今週の土曜日8月6日に日本展を開催する。

場所は首都ではなく、自分の任地ウルゲンチ。

日本のことはおろか、首都のことさえもあまり知らないウルゲンチの人たちに

少しでも異文化を経験してもらいたいという勝手な思いをもっていた。

でも根源にあったのは、世界平和に貢献したいという気持ち。

そう、8月6日はヒロシマへの原爆投下日。

広島出身である自分は、幼いころから、平和学習を当たり前のように受けていた。

そんな中、広島の子供には、核根絶と世界平和を訴える心というのは

自然に備わっているわけで。

特に自分達は被爆3世。戦争体験者を祖父母にもつ。

戦後70年近く経ち、

戦争体験者の生の声を聞く機会が少なくなっている。

『自分達が、伝えていかなければならない』

そんな使命感のようなものも自然にもってきたように思う。


大人になるにつれ、平和学習という名の与えられる時間はなくなり

広島の地を離れていくようになるが、

それでも8月6日は夜勤中だろうと8時15分に黙祷していた。

広島から離れるにつれ、広島を好きになり

戦争や原爆のことを常に見聞きする時間がなくなるにつれ

忘れてはいけないという思いが強くなった。

それでも、人に説明できるほど知っているわけではなく、

世界に訴えていきたいというほどの強い意志があったわけではなかった。

ウズベキスタンに派遣される前の表敬訪問時、広島市民を代表して

JICAボランティアとして任地でできることがあるのだということを知った。


JICA広島が、原爆資料館と協力して、DVDやポスターなどの資料を提供している。

それをどう使うかはボランティア次第。

自分にできることをやってみようと、原爆展開催を決意したのが

赴任当初の1年前。

具体的に協力者を集めて、こんな風にやっていきたいと口に出したのが年末。

場所をウルゲンチに決めて、企画が進み始めたのが1月。


ウズベキスタンは旧ソ連の一部あり、第二次世界大戦時も

ソ連軍として闘い亡くなった人もいる。

もともと中枢国と連合国として敵対していた日本とソ連。

ウズベキスタンの人は米国に対してはいい感情を持っていない。

終戦間際のソ連と米国との関係に付随するものか?

とにかく、どんな教育を受けているのか皆目検討もつかない。

でも、日本に対しては『原爆を落とされてかわいそう』

というイメージをもっていることが分かった。

そこから復興し、発展していることを知っている人は

敬意を表してくれている。

それでも原爆展の開催が政治的に問題ないのか、事務所を通して審議し

日本文化紹介の一部として原爆展を開催することに決めた。

原爆展の開催という思いに共感して協力してくれるメンバーがいて、

役割分担をしながら、ウルゲンチ派遣隊員と同期隊員中心で企画をすすめた。

全ボランティアを巻き込んで、ウルゲンチという遠い地に

日本人を集めたいという思いや

地方隊員からイベントを企画して、みんなで団結して

1つのイベントを作り上げたいというよがった思いもあった。

様々な事情と障害があり、それはかなわなかったが

それでも、原爆展に共感し、一緒にやろうと言ってくれる仲間がいて、

ここまできた。


ウズベキスタンという国は、集会などを極端に恐れる。

だから、外国人がこんなイベントを企画しても、ほいほい許可はもらえない。

ホントに長い道のりだった。

なのに、許可がでたのは2週間前。

許可証をもらうという、ホントのホントに開催が確実になったのは

つい3日前。



正直、今はブログ書いている余裕もないので、

ちょっと前に下書きしてた文を使ってる。

どんな準備をしているのか、当日どういうイメージでしようと思ってるか

とか書きたいことはいっぱいあるけど、終わってからになりそう。


自分が至らない点が多すぎて、上手くまとめる力もなくて

たくさんの人を巻き込んで、迷惑をかけてしまっているんだけど

もう明日で終わり。

だから最後の力を振り絞って全力で準備したい。
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8月6日 14:00~19:00 日本展開催

まずは当日のこと。

この国はだいたい週休1日制。
学校は夏休みだけど、看護師や医者は仕事。
日勤が14:30くらいに終わるので、それからでもこれるよう。
あと、日中暑すぎて、人々の活動時間は夕方から。
そういう事情もあり、午後から夜にかけて時間設定をした。
他の地域から来る人も午前中の移動が可能だし、
準備も午前中にできるので、結果的によかったと思う。

会場は町の中心にある公園内の劇場
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ここでやりたいと思って、会場費の件など問題はたくさんあったけど
結果的に実現できた。
そして、ここでやってよかったと思う。

が、当日やはり気温がかなり上がり、風通しの悪い館内は、クーラーだけで冷却が
追いつかず、立ってるだけで滝のような汗が流れた。

512席あるホールと、1階ロビーを使って開催。

ホールでのプログラムは
①開会式(開会宣言、スタッフ紹介、原爆展開催への思い、黙祷)
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②DVD鑑賞:『ヒロシマ母達の祈り(30分)』

③ステージイベント:子供達のダンス(30分)

④DVD鑑賞:『あなたにとって平和とは?(26分)』

⑤ステージイベント:空手演舞、リフティングなど

⑥閉会

これを2時間ごとに2部繰り返した。
夕方からしか来れない人のため。
でも出演者には負担だったかな・・・


DVDはJICA広島から提供されたもの。
原爆について、当時の映像を元に、原爆症や人々・町の様子、
復興の様子が本当に生々しくまとめられている。
ロシア語訳でもらったが、ウルゲンチの人はロシア語があんまり
分からない人も多く、
ロシア語教育を受けていない子供にも見てもらいたくて、
語学訓練中にお世話になった先生に翻訳吹き替えをしてもらった。
本当に時間をかけて編集したのに、最後に映像として流せる状態で
保存するのが前日になってしまい、しかもPCがいっぱいいっぱいになって
保存を拒否!
PC隊員の力を借りて、当日流してみたけど、途中で停止するトラブルあり。
完全に自分のミス。
PC隊員のN先輩とクラがいてくれたからなんとか持ち直した。
本当にありがとうございました。

もうひとつのDVDは、同期のJOが作成した。
第二次世界大戦にかかわりのあった国で
『あなたにとって平和とは?』という質問をし、答えを集めて編集。
本当に感動的な仕上がりになっていた。
開催決定が直前だったのにも関わらず間に合わせてくれた。本当にすごい。

DVD2本を立て続けに見るのはしんどいと思ったので、
間にウズ人の好きなダンスをいれてみた。
これも1週間前に同期マーキーの配属先にお願いしてもらった。
わずかな時間で、ここまで踊れるのかーと、ウズの子供のダンス力には
驚かされた。
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ここまで来るのもいろいろあったので、子供達がこのステージに
立って踊ってる、っていうその姿をみて、若干涙がでた。
いろんないろんな気持ちが混じって。
調整してくれたマーキーに感謝。

空手は空手隊員Mさんと、首都から手伝いにきてくれたH隊員。
うちの病棟のドクターが見に来てて、すごかったと興奮していた。
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すごかった!

サッカーリフティングは前々日くらいに決まったんだけど、
司会をしてくれたモモとモモの配属先のコーチの計らい。
音楽に合わせて、リフティング。結構盛り上がってた。
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つづく
日本展 

ロビーでは終日、日本文化紹介・原爆紹介をおこなった。

主に展示物
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原爆のポスターはJICA広島から提供されたもの。
ロシア語なので、これも全部、隊員の配属先の人に手伝ってもらって
ウズベク語に訳して展示した。

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ちゃんと読んでくれてる人もたくさんいた。

入り口から展示スペースをとって、奥に日本文化(遊び)体験コーナー。
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竹馬。これは、2週間前に開催が仮決定した時点でモモが作成を決断。
1週間で5基作ってくれた。
当日はシニアボランティアも来てくださり、竹馬のプロが子供達に教えてくれた。
事故もなく、破壊もなく…楽しんでいる様子が伺えた。

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剣玉やお手玉、コマなども少数置いて遊んでもらった。

そして折鶴コーナー
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1枚の紙から形ができあがるっていうのは、こっちの人にもウケがいい。
鶴は難しいけど、千羽鶴についても紹介していたのでこのコーナーをつくった。
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折り紙は足りたのか…混乱はなかったのか…全く把握できなかったけど、
様子を見に行く度に大盛況のコーナーだった。
調整員のMさんもがっつりマンパワーではいってくださり、本当に助かった。


健康管理員のKさんのアイデアで体重測定コーナーも。
元々、医療隊員で健康相談や体力測定のブースもつくる予定だった。
それもいろいろな事情があって、今回は企画から外したもの。
でも、せっかくの人が集まる機会だったので、Kさんの提案に甘えてコーナーを設置。
体脂肪などデーターもとってくださり、測定者に還元。
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自分の体のことを見つめなおす、いい機会になったのではないかと思う。
ここも少しだけ手伝ったが、大変だったと思う。
測定用紙も途中でなくなるほど。


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それから、『あなたにとって平和とは?』のDVDを見てもらって、
それぞれ平和について考えてもらおうと、寄せ書きコーナーを。
何も言わなかったけど、JOが全部上手いことやってくれてた。
ちらっとみたけど、たくさんの寄せ書き。思いは伝わったかな。
JOの企画(On The Silk Load)

1階ロビーは全てYさんに任せていた。
特に連絡はなかったので、安心していた。
ちょっと様子を見に行くと、確かにみんな楽しんでいて盛り上がっていた。
でも、めちゃくちゃ暑い!
ロビーに空調はなく、ホールのドアを開放して、中からの冷気を出していたつもり
だったけど、人ごみで、そんなの追いつかない。
慌てて2階の窓を全部開けに行ったけど、風通しは変わらず。
ホールの中も暑かったが、さらに暑いロビーでみんな汗だく。
それでも、笑顔で対応しているみんなの姿に胸をうたれた。


(つづく)
イベント終了後に全員に送ったお礼メールに対し、

ただ一人だけ同期が返事をくれた。

いろんな人の思いや出来事が交錯し、紆余曲折だったけど
寄り道しないとわかんないこともあったはず。
全てに意味はあり、無駄なことはなかったと思う。


そう、まさに紆余曲折だった。


どんなに準備が大変だったかとか、しんどかったとか

それは言うべきではなくて。

準備のことを書くと、どうしても愚痴っぽくなりそうだから

前回の『続く』は続かないことにした。


このイベントに関われたことに感謝している

という言葉にちょっとだけ胸が痛むのは、自分が後悔してるから。


一人でやってたんじゃないけど

みんなを信じてたのに任せきれなかった自分がいて。

自分の言動で、一緒にがんばってた人たちをたくさん傷つけて。

ただただ、みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

だから、一人でやってんじゃないのに。

誰かに何かを頼むたびに、胸に針をつきさすような苦痛があった。

みんなやらされてるとは思ってないのに。



失敗体験を重ねているからこそのプレッシャー。

たくさんの人を巻き込んだ企画を

こういう国で動かしていくっていう責任感。

それを、自分は笑ってかわせなかった。

ただそれだけのこと。


この準備と、自分の活動を並行してやってて

ダブルでウズ人に振り回されて、

何が原因でこのようながんじがらめになってるか分からなくなって

蜘蛛の巣に絡まった虫のように身動きができなくなって

私はウズベキスタンのことが嫌いになった。

ウズベキスタンと日本との友好のために、

ホラズムの人のために、とはじめた企画だったでしょう。

そう自分に言い聞かせて奮い立たせてみてたけど、

疲れが身体的なものだけではなくなったとき、

限界もとっくに超えてしまって

出てくるのは愚痴でも文句でも汗でもため息でもなく涙だった。

何も言葉がでてこない。理由もない。感情もない。

ただただ疲れてた。


「8月6日を終わらせること」その義務感だけでやっている。

そういう自分の気持ちに気づいて向き合ったのが開催4日前。

開催許可証がもらえた日だった。

楽しみとか希望とか期待はなく、義務感だった。


無駄なことは何もなかったと思う。

たくさんのことに気づき、たくさんの人に助けられ

たくさん失敗して、たくさん学んだ。


このイベントを成功だと言ってくれた人もたくさんいたけど

総括として失格だったと、この半年間のいろんなことを思って

それが一番の正直な思い。



当日、詳細な打ち合わせも何もできず、

そこまでの準備が全て中途半端の状態で、

休憩室の飲み物とか休憩時間も全く足らず・・・

それでも、協力者のみなさんはてきぱき動いていて

やっぱりすごいなと思った。



最後の準備期間が、よりによって一番暑い1週間だったから

毎日毎日50度越えの炎天下の中作業をして、

歩いて…作って…運んで…歩いて…交渉して

待って…待って…待って…待って…

それで流した汗と涙は5L以上だ。


思い出すと、やっぱりいつも傍にいた同期と先輩

そして、遠くでイベントの成り行きを心配して

ずっと見守ってくれてた人たちの顔が思い浮かぶ。


返事を期待して送ったメールじゃなかったけど、

見えないところで辛い思いをたくさんしてきた同期がくれた

温かい言葉にちょっとだけ救われた。


でも最後にみんなで抱き合って、

終わったね、よかったね、楽しかったねと

そう言い合えなかったことが一番の後悔。


間に合わない、これをクリアーできなかったどうしようと

問題にぶつかるたびに、常に感じてた焦り。

何を貫きとおして、どこを妥協すればいいか分かんない混乱。

でも自分がやらなきゃいけないんだと、その思いだけが空回りしてて、

結果的に自分も周りも追い詰めてた。

そのことに気づいて、

全身をぼこぼこにされたくらいの衝撃を受けた。


だから、申し訳ない気持ちしかなかった。

全部全部何もかもありがとうございますという気持ちしかなかった。

こんなことやりたいって言ってすみませんでした

っていう気持ちさえもってしまった。


半年間の後悔と反省の気持ちに押しつぶされて立ち上がれない。

緊張の糸がぶつっと切れて、

どの方向を向いて歩いていけばいいかわかんない。


今、ただ一人、自分だけ歩いてない。

休みたいんじゃない。歩きたい。

みんなの背中が見えなくなる前に、また追いかけたい。

追いつきたい。

ここでたった一人で生きてるんじゃないから。
2011.08.14 休みましょか
暑いのに冷や汗がとまらんってのはなかなかない体験。


8月入ってから微熱が続いてて、

それが、気温が50℃超えてて室温も38℃とかで

だから体温が下がらないのか、高温期のせいなのか

どっか悪いのかは分からんかったけど、

とにかく休む暇もなく放置しておった。


6日のイベントが終わって疲れをごまかせず1週間休んだ。

イベント前2週間、ほとんど寝てなかったから、体が重い。

食欲はないし胃も痛いし腸の調子も悪いし寝れないし

1ヶ月で6kg近く痩せてしまって、自分的にはボラディなんだけど

身体的にはちょっと無理があったらしくて倦怠感がひどい。

健康管理員さんと相談して、

一回首都に行って休みましょかっていう話になったんだけど

飛行機のチケットを外国人が買えないっていう面白いことになってるらしく
(大統領令のおかげでドルでもスムでも払えないから??らしい)

電車で行くことになって、駅にチケットを買いにいったら

ウズ人の山。

がんばって1時間粘ったけど、平気な顔して順番抜かしされるし

あと2人ってところでなかなか進まなくなり、

気分悪くなって、倒れそうになったので人ごみ脱出。

周りの音が遠くなって。座りこんで休んでも再チャレンジはできず。

帰りのダマスでお腹がちょー痛くなって途中で降りて、

たまたま近かった先輩の家で休ませてもらった。

ブルーな気分で考える。

電車で首都まで行く?またチケット買いにいく?

もういいや。いやだ。



腹痛の波が去って、休んだら気分もよくなった。

念のため航空チケット買えるか、一緒に確認しに行ってもらって、

どうやらドルで買えそうってなったのに・・・

またもや気分が悪くなって立っていられない。

そうこうしてたら窓口閉めるし、昼休み終わってから来てと。


もういいよ。帰る。


ダマスに乗ったのは覚えてるけど、どの道を通ったのか覚えてない。

いつの間にか家の近くに来てて、慌てて止めた。

這うようにして4階まで上って、帰って倒れこんだ。

冷や汗が止まらない。立ちくらみひどい。

ついでに鼻かんだら鼻血止まらんし。


この気分の悪さは血圧とか血糖とか低いんだろうし、

ご飯食べにゃいけんと思うけど、

何か食べたら激しく下してて、その繰り返しがちょっと恐怖に。


メロンちょっとだけ食べたら、やっぱ食べた以上に出てしまって、

血圧下がって、トイレの前で倒れてた、気づいたら。

一人の時に限って簡単に意識がふっとぶのか。

やばいでしょ。もー疲れたよ、疲れた。



なんだこれ、すごい悪循環。今、この1年で一番絶不調。

メンタルも引きずり落とされてる。

積み重ねたものと量が悪かった。



チケット買えるのか?

1000kmはなれた首都は遠いですよ。

体調良くないと行けないですよ。


気を確かに、自分。
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