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2011.04.21 エビデンス
エビデンス=証拠、科学的根拠

医療・看護の世界でもエビデンスが重要視されている。
【民間療法】で終わらせないため。

例えば、風邪をひいたら玉子酒

昔からそう言われてきた。
間違いではない。
でも、
「みんながそうやってるから」
「昔から言われてきたから」
っていうのは医者や看護師の言う言葉じゃない。

「なんでそれがいいのか」
「何が効果をもたらすのか」
「何に注意しないといけないのか」
そういう根拠を知った上でアドバイスするのが専門職。

知ろうとする人がいるから
研究されて解明されることもあるし、
正しい知識と情報を求めて勉強をし続けることもできる。

改めて、日本の教育や医療をめぐる環境は恵まれていたと感じる。
セミナーや学会に参加していたのが貴重な経験に思える。

自分も理由や根拠が分からないことはとことん調べるほうだった。
自分自身が納得できないと行動に移さなかった。
元々こういうキャラではない。
深いところに気づく力が弱いと思っていたから
それを補うために努力していた部分だ。
とにかく何でそうなのか考えること。

そういう思考は必要だと思ってた。

だから
根拠に基づいていないことを指摘したり
簡単にころころ方針を変える人は嫌いだった。
感情論で物を言う人も嫌いだった。
そんな人と面と向かってやりあうことはしないけど、
心の底から信頼はできない。
そんな人に命は預けられないと思うから。


新人指導をするときも、
何でそうするの?
何でだと思う?
とよく聞いていた。

もちろん自分もよく聞かれていた。
答えられない=根拠がない
だから自分に不足しているところを知ることもできる。
決して悪いことではないと思う。

ウズベキスタンに来てからも
何でそうするの?
何でだと思う?
と看護師によく聞いている。

うっとおしがられることもあるし、
答えてくれてもこっちが分からんことも多い。
でも、ここの看護師には
疑問を持つこと
考えること
をもっとしてほしいと思っている。

分からないこと、知らないことは全く悪いことだとは思わない。
ただ、疑問に思わなければ知ろうとすることはできない。
考えなければ疑問に思うこともできない。
そう考えるから。

セミナーの計画をしていた当初は、
とにかく根拠にこだわった。
病態生理、解剖生理を知らなければだめだと。
その基本すらないところに教えるのだから
質の向上だなんて
とても長い道のりだと思っていた。
でも段階を経る必要があると訴えてきた。

それにしても、
資料の準備をしていくにつれ
臨床で共に働いて現場を知るにつれ
看護学生の実習の現状を知るにつれ
やや諦めの気持ちが強くなってきた。

あまりに根拠のないことが多すぎる。
それが当たり前になりすぎている。
しかも法律で決まっていたりする。
だからみんな考えなくなっている。
そんな現実を認知せずに
こっちに求めてくるレベルは階段4つくらい飛ばしたところ。

なんか自分には手に負えない。
根拠なくてなくてもいいのか。
体裁だけ整っていればいいのか。


仕事だけじゃない。


人間関係において
根拠のない噂や憶測での話はホントに嫌。
そんなのに振り回されるのはごめんだ。
ちゃんと話さなければ…聞かなければ…分からないことも多い。
誤解のままで終わるのは自分は納得いかないけど、
知ろうとする努力をしないなら話を膨らますべきではないと思う。
子供じゃあるまいし。

自分は自分の考えが本当に正しいかどうか疑問に思いながら
日々を過ごしているのに、
かたや憶測や推測だけで話が形作られ
真実はいつも置いてけぼり。

知ろうという気持ちと
伝えたいという気持ちは
ぶつかり合って初めて結ばれる。
一方通行では疲弊するばかり。

そういう環境にいるだけで
モチベーションが下がっていく。
不信感しか生まれない。

根拠なんて、真実なんて知らなくても
自分は傷つかないし
自分の価値観だけで世界を見ていても
なんとなく生きていけるんですよね。

そんなくさって投げやりな気持ちになってたら
同期からいい言葉を教えてもらった

【あいつのことを信じてるんじゃなくて知っているんだ】

信じることより「知っている」ことのほうが強い。
「知っている」っていうことが信じる理由になる。
知っていることへの自信を持とうと思った。
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