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1年前の記憶はまだ鮮明。
あぁ去年の今頃は…とおぼろげに思い出しながら寝たらひどい夢を見た。
起きたときに体が硬直していた。

1年前・・・
年末から退職までの10日間、休みは1日だけ。
ほぼ夜勤。全部リーダーという勤務だった。
もともと退職は年内の予定だったので、12月末に家をひきはらい
同期や先輩の家、病院の仮眠室で寝泊りする2週間だった。

うちの病院は初療室(2床)とICU(8床)と病棟(22床)の3つだけ。
日勤は初療に交替で行くこともあったが、自分は病棟に所属していた。

退職日は深夜勤だった。
前日は日勤。
医療職者以外は想像つかないだろうけど、
日勤が定時に終われば、8時間後、夜中に出勤し夜勤が始まる
という勤務である。
もちろん定時に終わるわけもなく
日勤は20時前に終わったと思う。
病院の仮眠室では救急車の音が何度も聞こえ、
また、退職が目前だったため
一睡もできないまま夜勤が始まった。

ほぼ満床。個室には植物状態のいつ亡くなってもおかしくない患者さんもいた。
8床ある重症部屋は1床空いているだけ。
自分がリーダー。
メンバーは1つ下の後輩。そして病院で一番手のかかっていた新人。
この新人、ほぼ1年たとうとしているのに、べったり行動監視が必要な状態。
そのため、重症部屋3人を受け持たせ
それ以外の患者を自分と1つ下の後輩で分担した。
全部で22床といっても、ほとんど重症者。

リーダーは全患者の情報を知っておく必要がある。
それからいろんな調整。
夜勤でも仕事量は半端ない。
一緒の勤務は全て後輩。3人だけ。不安じゃないわけはない。


それでも最初は穏やかに始まった。
自分は委員会や係の仕事など残務も済ませながら
後輩2人を交代で休憩に行かせ、時刻は3時。
ちょうど初療室に緊急患者が来ていた。
各詰め所のモニターで様子が見れる。
意識のない患者が多いので、夜中でも2時間毎に寝返りをうたせてあげなければならない。
うちの病棟は奇数時間だった。
これが終わったら自分の休憩の番。
3人しかいないので、流れ作業で端から順番に回っていく。

しかしその前に、ふと気になった。
新人が受け持っている患者で一人病状が不安定だった人がいる。
大丈夫かな…
他の部屋に入ってしまったら様子が分からなくなるので、先に部屋に見に行った。

すると…
呼吸状態が怪しい…

これはただの直感だった。

当直医も管理Nsも緊急患者の処置をしている。
モニターで様子を見ながら、一報だけいれておこうと管理Nsに電話をした。
そのときは詰め所で、患者の心臓や呼吸状態がわかるモニターも見ながら。

少し気になるという程度だったので、
忙しいところごめんなさい、という気分だった。
しかし、電話がつながってものの数秒で、その患者のモニターが心停止に近い状況になった!
あ、なんか無理ですっ!と叫んで電話を切って(切ったかどうか覚えてないが)
病室に駆け込んだ。
呼吸停止している!!

あー、もうやばいやばいやばいー…って思いながら
緊急処置と蘇生の準備をする。
電気つけて!ベットの柵下ろして!
そんなこともひとつひとつ指示しなきゃ何もできない新人。
自分はとにかく、この患者を死なせてはならない!
という気持ちしかない。
急変は何度か経験しているけど、当直医や先輩がいないのは初めて。
しかも、足手まといな新人。手に負えない(泣)
そのとき自分を突き動かせていたのは、
なんだったのか。
その間どのくらいの時間だったか分からない。
でも、意志と関係なく口と体が勝手に動いていた。

電話での自分の様子に異変を感じてか、
管理Nsと当直医が直後に駆けつけてきてくれた。

どのくらいの緊張感だったかというと、
悪い知らせを聞いた時に、胸がどくんとなる感じ。
それがこの時までずっと続いていた。

医師がくると、薬品投与して、緊急で気管に管を入れ、呼吸器を装着できる。
その介助も、受け持ちである新人は何もできなかったので、全て自分がした。
もう一人の後輩は、他の患者を全て看ていてくれた。
焦る気持ちはなくなり、安堵感ももっていたつもりだったが、
処置の介助をする手が、ありえないくらい震えた。

このように状態が急変すると、看護師の人数の多いICUに移動させる必要もある。
といっても、それにも様々な準備や手続きがあって簡単ではない。
そして、緊急で来ていた患者さんの入院もある。
加えて、臨終間際の患者さんもいる。
もちろん他にたくさんの患者さんがいる。
患者さんが起床してくる時間も近づき、これから忙しくなる時間。

新人には新しい業務もあり、手取り足取り説明し、一緒にこなしていかなければならない。
自分がリーダーだから全部調整しなければならない。
何が大変かというと、この異常な事態があっても
決まっている業務の中で、
できることと、できなくてもしかたないことを区別し
最低限必要なことだけ安全に実行していく行動力と判断力がリーダーに求められる。
この、責任感と緊張感と仕事量の多さ…
重圧に耐えられず
もう全て投げ出して倒れてしまいたい衝動に何度駆られたか…

でも、
無理です!できません!
とは言えないのだ。

休憩をとっていなかったのもあり脱水ぎみだったため、
自分を奮いたたせるべく
休憩室に駆け込み、ローソンで買ってた1Lのパックのスポーツドリンクを
10秒で一気飲みした。
飲み干して、ゴミ箱に投げ捨てた紙パックの残像まで覚えている。

脅威のスタミナと集中力が、あの時はあった。

その後、後輩と一緒に新人の尻をたたきながら業務をこなした。
それでも日勤との交替の時間になっても3人とも仕事が終わらない。

引継ぎのためにすべき記録や点検だけ先におわらし
リーダー申し送りの時は、魂が抜けていた。

その後なんとか業務を終わらせて、
自分の記録にとりかかれたのは昼前。


というのが、普通にあるのが救命センター。

だけど、なぜこんなに鮮明に覚えているかというと
よりによって退職の日だったから!

ぼろぼろ抜け殻みたいな状態で
誰かに促され、
4年間ありがとうございましたと挨拶をし、花束をもらった。

みんな気の毒そうに見ていた。
最後までこんな忙しい勤務なんて、hoshinotoriらしいねと苦笑いで言われた。

パズルのピースが合うかのように
歯車が合うかのように
少しずつ形作られた1日。
壮絶だった。

後から笑い話として、当時の同期や先輩とこの日の話を何度かした。
でも忙しかったなぁっていう記憶だけじゃない。

あの日が救命センターの看護師としての総集編だったのだ。

あの1日で
目の前の現象に対し
行動したこと
感じたこと
反省したこと。
それは、無意識のうちに自分の価値観=看護観に基づいたものだった。

なにかに突き動かされてと表現したが
いつも経験や知識だけで動けるわけじゃない。

もっと早く発見できたかもしれない。
もっと何かできたかもしれない。
あの時こうすればよかったかもしれない。
そんな後悔は、いやでも押し寄せてくる。
もし目の前で亡くなってしまったらなおさらそう思う。

人はいつか死ぬ時は死ぬ。
自分せいじゃないことが多いけど、
自分のせいになりかねないことが多いのも
医療職者の現実である。

その重圧に耐えられなくて去っていく人も多い。

でも重圧を感じるということは
それだけ真剣に向き合おうとしている証拠だとも思う。

経験年数とか関係なく
対人間、対命という仕事に対する姿勢。
医療職なら誰でも一緒だと思っていた。

しかし、あの日に知ったのは
何かをしなければと思う気持ちと
その気持ちを思い起こさせる理由
そして全てが終わった時の気持ちが
その新人とは違っていたということ。

半年ほどずっと指導してきた経験と、新人の態度から
実は、優しく指導なんてとてもできない心境だった。
ぶっちゃけ、最後なのにこの子と一緒の勤務かとうんざりもしていた。
でも初めての急変体験だろうし、新人にもショックな出来事だろうなとは思っていた。
一人間として、一看護師として新人に伝えたいことがたくさんあった。
叱り飛ばせば早いけど、この職場で最後のこの日にそこにエネルギーは費やしたくなかった。
だから、それはもう辛抱強く教えたつもり。

だけど話せば話すほど
その新人の、看護師としての感覚に違和感を感じた。

今自分は発展途上国の救命センターにいる。
最初に思ったのは
あの新人とここの看護師が似ている、ということ。
あの子の名誉のために限局しては言わないが、
マンツーマンで指導している間、
相手の気持ちになって考え行動してほしい
と常々思っていた。
看護師はプロだ。
少なくとも患者さんに苦痛を与えず、苦痛を取り除き
安心を与える義務がある。
それに関して、少しも意識が及ばない子だったのだ。
それに対し、どのように指導していいか最後まで分からなかった。

あの新人は自分が退職した2ヵ月後に突如辞めたらしい。

それを聞いたあとこの国に来た。

少なくとも自分は何事にも真剣に向き合おうとしている。
あの新人とも向き合おうとした。
それをするりとかわされている気分だった。
辞めたと聞いて、もっと早く辞めててくれればよかったのに
という気持ちとともに無力感も抱いた。
そして、今も看護師たちに対しそういう気分になることが多々ある。

でもあれから1年たって
ウズベキスタンで半年たって
この異国の看護師や
違う病院で経験を積んできた看護師の先輩達
そして、医療職以外のボランティアたちと
深く関わるようになり
頭でっかちだった自分に気づいた。

自分の価値観が正しいか間違っているかは深く掘り下げない。
それより
考え
行動を起こし
感想をもつ
というものが、無意識のうちに自分の価値観に基づいている
ということを意識するようになった。

自分の価値観を押し付けないようにして
誰かに指導するというのはとても難しい。

でももう一度、自分の価値観にとらわれすぎていないかと
足元を見る必要があるのかなと感じるようになった。


この先どうするのかってこと、まだ考えてないけど
頭でっかちじゃなくなればもっとすっきり前が見える気がする
と、そう思った。
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