上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2011.01.08 あれから1年
それぞれの人生に、節目(ふしめ)といわれる日があるはずだ。
誕生、死であったり、入学、卒業、結婚など何らかの行事であったり
何か行動を起こした日だったり。
人と共通なものもあれば、個人的なものもある。
辞書的に言っても、物事の区切りというやつ。
記憶に残っている日というのは全部節目な気がする。

何が言いたいかというと・・・
自分にとって、鮮明に記憶に残っている日というのがいくつかあるが、
その中でも強烈だった1日が去年の今日だった。


1年前の1月8日。
看護師人生を始めた職場である救命センターを退職した。

医療職者など専門職から見れば、就職場所が変わるのは特別なことでもないし
長く勤めたわけでもない。
もちろん今、海外協力隊として異国で働いていることのほうが自分の中では
よっぽど特別。

それでもやはり節目は節目だった。


救命センターで働くという憧れや、
今後のキャリアアップを想定して
自分自身のためという意志があって志望していた。
単に患者さんのためやお金のためだけなら救命センターじゃなくても働ける。
そう思ってあえて荒波に乗った。

合格発表の遅い職場だったが、他の内定を蹴って待っていた。
倍率は低くはなかった。
大学4年。卒論や実習のさなか。
余裕をかませるほど大人じゃない。

そんな極限の精神状態でもらった合格通知。
正直、今後の人生を左右する点で
協力隊の合格通知をもらった時より興奮した。

だから入職した時は、長く勤めたいと思っていた。
しんどいことのほうが多かったけど、
それは想定していたし
もしこれを乗り越えた時に
輝かしい未来が待っているのではないかと。

そのときも
自分の人生に意味を見出そうとしていた。
ただなんとなく毎日過ごしていくことが苦痛だった。
ただ生きているだけ
というのは自分の中でありえなかった。
最低限、人に迷惑をかけない。
できれば誰かの役に立つ。
欲を言えば誰かに必要とされたい。


救命センターでの仕事は毎日刺激がありすぎた。
それに加えて
本当にたくさん勉強した。
知らないことで患者さんに苦痛を与えてしまうのも嫌だったし
知っていれば患者さんに最良のケアを提供できると信じていたから。
そうやって努力をしていたからこその意地やプライドがあった。
まだまだ努力が足りないことに気づいて落ち込んだりもした。
それで私生活にも影響が多々あった。

というわけで、完全な仕事人間だったらしい。


気づいた時には疲れていた。


日々押し寄せてくる疑問と不安。

自分はいったいどこに向かっているんだ?
何がしたいんだ?
この病院で何ができるんだ?


元の職場の人もこのブログを読んでいるため言葉を選ぶが・・・

正直に言うと
協力隊の試験を受ける前に
退職を決めていた。

受からなかったらどうしていたか分からない。

退職することでマンパワーが低下し、心善く思われないはず。
それでなくとも、ひどい人数の職場になっていたから。
4年間お疲れさまという言葉に自分は重荷を感じていただろう。

協力隊が事実になったから
目標があるから退職せざるを得ない
という印象を周りに与えた。
がんばってと応援してもらえるようになった。

それにも後ろめたさを感じていた。


自分には目標があったんだ
そのためにがんばってたんだ

と自信を持っていえない。


自分は元々、深く物事を考えすぎる傾向にあるが
管理職に退職宣言をした時も
協力隊の試験を受けた時も
かなり衝動的だった。

疲れてしまった自分を正当化したいのと
目標を持っていたのは確かだけど
こんなスムーズに道が開けると思っていなかったための動揺。
行き当たりばったりに慣れていないくせに
この大事な時に
行き当たりばったりだった。


退職という事実に自分自身が納得したのは
宣言した時でなく
退職してからなのである。

行き当たりばったりでも
結果オーライじゃん
と、晴れ晴れした気持ちになったのは
やっと今なのだ。
1年たったやっと今。


だから…
入職日より退職日のほうが記憶に残っている。

いや、それだけではない。

記憶に残るだけの壮絶な日だった。


続きはまた。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。